最新更新日:2024/12/23
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新規「授業力アップわくわくクラブ」サロン会員のご案内  新規「授業力アップわくわくクラブ」サロン会員のご案内 

笑乱万丈52 公開研究会

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☆公開研究会
 筑波大学附属小学校は、年に二回、6月と12月に大きな研究発表会がある。6月は、筑波大学附属小学校独自の研究発表会である。附属小学校の研究テーマに沿った発表会である。二月は先月紹介した初等教育研究会が主催する研究発表会である。どちらも木曜日、金曜日の二日間実施される。6月は2000名、二月には4000名の先生方が全国から集まって参加された。とにかく規模が大きい研究発表会であった。
 

志水廣 1049 動画  中学校数学科の授業 33 中学校3年 ガイダンス

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笑乱万丈51 ☆原稿書き

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☆原稿書き

 筑波に転任して実務として多くなったことは、原稿書きである。「教育研究」は月刊誌だから12回を35人の教官で割り振ると、年間8本は出さなくてはならない。それも内容は多様で、実践報告、図書紹介、エッセー、研究会報告、主張論文などさまざまな分野で書かなくてはならない。編集部員になると、その上、提起文なども必要である。
 その上、明治図書の雑誌「算数教育」に連載、また毎日小学生新聞「算数チャンピオン」に毎週連載した。また、啓林館の「理数」という雑誌にも連載していた。だから、多いときで、月に7本くらいの原稿が押し寄せてきた。まさに、蒙古襲来である。つまり、原稿の役である。次々と押し寄せる原稿をぼうっと見ていても終わるわけでもなく、粛々と書き続けるしかなかった。
毎日担任をして授業しているわけであるから、書くのは夜になる。夜も会があると、朝方になる。朝、4時に目覚めて7時までに400字詰め原稿用紙に20枚書き上げる。当時はまだワープロは出始めで、手書きで仕上げた。手書きの方が速いし、完成度も高い。今は、パソコンに向かい書くので、いつでも修正可能と思っているので雑な文章になる。
 一番困るのは、良い実践を年間7本くらい生み出すことである。絶えず考えておかないと、良い教材は生まれない。原稿に嘘は書きたくないので、ともかく良い実践を生み出すほかなかった。
 振り返って、考えてみれば、あれが私にとっての修行だったのだ。書くためにはアイデアがいる、良い実践がいる。これらが連鎖して鍛えられた。

教訓;やむを得ず押し寄せる仕事には、黙ってやり続けるしかない。この作業の中で、人は鍛えられる。


常に現状維持か、現状改善か

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4/29 今日のひとこと

現状維持と現状改善では、大きく差が開く。

維持は心穏やかであるが、わくわくはしない。

現状改善は、常にチャレンジで、わくわくする。

あなたの魂はどちらが心地よいのだろうか。

突然の収入

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4/28 今日のひとこと

わくわくクラブが出版している本が突然売れました。しかも予想外の数でした。

ありがたいことです。

わくわくクラブは地味な活動で損得なしで運営しているのですが、本当に助かります。

宇宙貯金のおかげです。

第5回 4月第5週「心の声が出てしまう子の対応」 限定配信

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

こんにちは。
「ユニバーサルデザインに基づく学級経営」動画を配信します。

第5回 4月第5週「心の声が出てしまう子の対応」

どうぞご覧ください。

    授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

授業力アップわくわくクラブサロン会員のみ 第1回 子どもの心を引きつける学級・学年経営動画 「学力向上作戦」を配信します。

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

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第1回 子どもの心を引きつける学級・学年経営動画
「学力向上作戦」を配信します。
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  授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

笑乱万丈50 ☆「入会の言葉」の文章の波紋

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☆「入会の言葉」の文章の波紋

私としては、「田舎」という言葉に愛と尊敬を込めて書いた。教頭先生は山形弁でとても面白い。教官会議では不思議な集団だなあというのが正直なところであった。
 ところが、田舎という言葉がかんに障った人がいて、思いっきり叱られた。附属小学校始まって依頼の大学院出ということもあって、「何だ、あいつは」ということになった。美文だと思って書いたのが、先輩からの逆鱗に触れた。申し訳ありません。後悔しております。
 田舎者に田舎者と言ったのが悪かったようだった。私は神戸っ子なのでシティボーイだと自分では思っていたから、田舎にはあこがれをもっていた。だから、田舎という着眼に我ながら感心したのだが、改めて「入会のことば」の文章を読み返してみると、田舎と言う言葉をかなり使っていて、関西風のくどさがある。吉本ののりかもしれない。当時の東京には吉本新喜劇は放映されておらず、このくどさを理解してもらえなかったのも当然だと思う。

教訓:同じ言葉でも人によって捉える意味が違う。


笑乱万丈49 初等教育研究会

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☆初等教育研究会

 筑波大学附属小学校には、校内に社団法人があり、初等教育研究会という。ここでは、毎月定期機関誌「教育研究」を発行している。
明治時代から続いている雑誌である。主に附属小学校の教官が記事を書いている。私が着任したときは、1000号を迎えていた。伝統のある雑誌である。国内でもこの手の雑誌は、広島大学附属小学校と奈良女子大学附属小学校だけである。
 さて、筑波に着任したから、当然、入ることになる。そこで、四月の初めに原稿がきた。「入会のことば」を書くようにという依頼である。B5で1ページ書いた。これを紹介しよう。附属小学校に入ったときの初発の感想が述べられている。

大都会の中の田舎
 六甲の水で有名な神戸より上京し四月から附属小でお世話になっております。必然的に初等教育研究会に入会しましたが、何かしら漠然とした喜びと不安が同居しております。
 というのも、附属へのお誘いがあるまでは、筑波大学附属小については、お名前だけで全く縁がございませんでした。何しろ「教育研究」も購読していなかったぐらいですから附属小及び初等教育研究会については全く無知であり、雲の上のことだったわけです。
 突然、附属小の転任の話が決まり、附属そのものが雲の上から地上の私の目の前に降りてきた次第です。
 そこで、入会の弁というよりも、着任して一ヶ月間の感想を述べることにします。
 標題にもかかげましたように、ここは、まさしく東京の中の田舎です。
 奇異に感じられる方が多いでしょうが、本当に田舎なんです。筑波山ではなく、文京区大塚にある田舎なんです。どうして田舎なんでしょう。
 まず、環境施設面について述べます。
 ここは、広い敷地を有し、しかもまわりがとても静かだということです。広い運動場が二つ、体育館が二つ、広い庭園である占春園の存在、どれをとっても大都会の中にあるべき空間ではありません。やはり田舎なんです。
 ついでに述べますが、ボロッちい校舎も田舎的です。良く言えば、伝統の重みが感じられるわけですが、とてもそのようなものではなく、お世辞にもきれいとは言えません。
 テレビにしても白黒テレビも残っているようですし、しかも本当に写るのかしらと首をかしげたくなるようなしろものです。現在、校舎改修の計画があるそうなので、その計画に期待したいと考えております。
 次に、すばらしい人的財産について述べます。子ども、教師、親という三者は、どれもすばらしく、それも田舎が残っていてすばらしいのです。
 子ども達は、のびのびしていてたくましい限りです。附属のお坊ちゃん、お嬢ちゃんというイメージではありません。ここには、公立校のような管理教育は見当たりません。個性を尊重し、自主性を重んじているようです。先生方も、信念を抱いて教育にあたっておられる訳ですが、陰で見守ってくれる親も大きな力です。「おらの学校さ、大切にするだべ。」という気持ちがあってこそできるものなのです。そういう気持ちは、まさに田舎風です。
 最後に、地方なまりの残る先生方は、田舎の熱血集団を感じさせられます。
 この附属及び研究会は、いつまでも田舎風でいくべきです。設備は、近代的にしていく必要はありますが、東京高師の伝統にふさわしく日本の教育界をリードしていくべき田舎でありつづける、即ちふるさとでありつづけるべきだと考えております。
 私も、早く大塚の田舎っぺになりたいと考えております。よろしくお願い致します。



笑瀾万丈48 「入会の言葉」事件

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「入会の言葉」事件
☆エールのつもりが…
 6月のこと。ヒロシは「教育研究」を読む会のため合宿していた。
 教官の有志が集まって「教育研究」に書いた文に対して評価する勉強会であった。
 突然、先輩のMさんが「あのなあ、この前の『入会の言葉』はなんや。どういうつもりで書いたんや。」と質問してきた。
 「はあ、附属小学校に赴任した正直な気持ちを書いたつもりです。」
 根が正直なヒロシは嘘はつけなかった。本当の気持ちを愛を込めて書いたのだった。
ところが、「はあっ!」
と返信が来た。「これはやばい」どうも怒っているらしい。
 あの文章のどこに悪いところがあるのか気がつかなかった。
 どういうつもりで、「田舎」と書いたのかと。
「ああ、さては、『田舎』という言葉が気に入らなかったらしい。」
うどん粉よりも練りに練った文章であった。『田舎』というたった一つの語彙に引っかかるものがあったらしい。
そばにいたTさんが同様に攻撃してきた。
ヒロシは猛烈な攻撃に黙りを決め込んで、炎上してしまった。


親子で学ぶ算数教室


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志水廣 1047 動画 楽しい問題 「分けられないよ」

志水廣 1047 動画 楽しい問題 「分けられないよ」

笑瀾万丈47 自由な空気

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☆自由な空気
 赴任当初、なんて自由な雰囲気のところだと思った。とにかく、校長先生は、1週間に3回来るだけ。普段は顔を合わせることはない。その代わり、副校長先生と副校長補佐がいらして、我々の面倒を見てくださった。
 学級経営に文句を言われることもなく、思いっきり個性を出してよいとのことであった。
だから、気楽なところだなあと思った。ところが、だんだんとこの学校のきびしさがわかってきた。じわじわと責任が来るのである。

4月の志水先生のメッセージ「覚悟をもって行動する」 :会員限定

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

こんにちは。
4月の志水先生のメッセージ「覚悟をもって行動する」を配信します。

どうぞご覧ください。


  授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

こまった時が

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4/24 今日のひとこと

困ったときは、困ったんだね。

だから、どうしようかと考える。

そして、打開策を見つけようと行動する。

すると、何かしらの出会いがある。

これがかなりの効果をもたらす。

笑瀾万丈46 16時から

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☆16時から
 ここから会議がスタートする。教官会議(職員会議のこと)、部会会議などがある。
 教官会議は月に二回、月曜日にあった。これはエンドレスである。早ければ18時30分には終わった。しかし、21時すぎまで続くこともあった。気楽だったのは、附属小学校には組合組織がなかったことである。だから、分会会議などはいっさいなかった。組合員もいなかった。附属中学校と高校には組合員はいたようだ。

笑瀾万丈45 教科担任制

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☆教科担任制
 朝のマラソンの後、教室に入り、一時間目が始まる。そこで、自分の学級で授業または、別の学級で授業をすることになる。
 筑波大学附属小学校は、半分教科担任制である。(正確に言えば、27年前の話なので過去形であるが)
赴任当時は、四年生の担任で、国語5時間、算数4時間、道徳1時間、総合4時間を受け持った。そして、他の学年のある学級の算数4時間を受け持った。確か二年生だったような気がする。社会科、理科、体育科、音楽は専科であった。だから、合計18時間であった。六年生の担任のときは、国語も専科の先生にまかせたので、算数は自分の学級と他の学級を2学級受け持った。これはこれで、大変で、算数の授業を四年生、一年生、六年生と受け持ち、一週間のうちに、これらの教材研究と教材の準備をこなすのは容易ではなかった。あるときは、六年生の算数を受け持ち、終わったら、次の時間が一年生で言葉使い、態度さえも変身する必要があった。教室移動のときに、人格を変えるのである。
 六年生にはびしばし指示していたのが、「さあ、みんなわかるかな」と丁寧な言葉でやさしいお兄さんの演出である。お兄さんは言いすぎで、おじさんを演出した。
 授業参観のときも他の学級で授業参観する場合も当然でてくる。見せるのが堂々としていないと親からの評価もきびしい。
 一コマの時間は、40分間であった。40分間でやりきらなくてはならない。他の学級に算数を教えに行くと、宿題まで含めてやりきらなくてはならない。確かに附属の子どもの学力は高いのであるが、それでも二年生のかけ算九九を覚えようとしない子どももいるわけで、担任に任せるわけにはいかないので、説得することを覚えた。
 4時間の授業が終わり、自分の教室に戻り、給食であった。これが値段のわりに内容がよくない。国立なので、都立のように補助がでていなので、自校給食にもかかわらず、質素であった。赴任当時は神戸市の給食と比較していた。
 昼食は、子ども達の楽しいひとときである。あの子達は、一年生から学級編成替えがなしだから、とにかくツウカーの仲である。いろいろなトラブルは当然あるが、そのうち収まった。
 この後、昼休みになる。このとき、大抵の場合は、算数部室に行き算数部の教官(文部教官と言った)と交流する。お茶を入れるのは、新任の私の役割である。おやつの買い出しにも行く。
 お昼休みが終わり、全校清掃となる。異学年の交流の場である。
 13時30分くらいから、5校時が始まり、15時すぎに6校時が終わる。終わりの会をやって子ども達は下校となる。ただし、一週間に一度、居残りがある。それは何かというと、運動の居残りである。サッカーやベースボールなどをやる。子ども達は都内の広範囲から来ているので、下校してしまうと、一緒に遊ぶ場がない。だから、15時すぎから16時まで、目一杯運動している。そのとき、私はその監督をしている。


第4回 4月第4週「 1学期の教材研究のポイント」限定配信

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第4回 4月第4週「 1学期の教材研究のポイント」

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    授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

笑瀾万丈44 出勤時の様子

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出勤時の様相

☆事務室から
学校に出勤すると、まずは事務室で出勤の印を押す。事務室の存在は、当時の神戸市の小学校にはなかった。さすが国立は違うなあと思った。
その後、教官室に行く。誰もいない。
不思議な光景である。がらんどうである。ヒロシはまずこの風景に戸惑った。
♪今は〜、もう朝(秋)。だれもいない教官室(海)。知らん顔はしないが。廊下を教職員が通り過ぎていく。
何だか変なの。校長先生、教頭先生、教職員。誰もいない。どこに失踪したのか。行方不明である。冗談ですよ。学校内には、いるんです。各教科の部屋に。
すると、教官室の黒板に本日の予定が書き込まれている。例えば、避難訓練と板書されている。教官室にはヒロシの机はない。教官室とは名ばかり単なる会議室である。だから、職員全員と顔を合わせることはない。郵便物をチェックした後、本館の三階の算数部の部屋に向かう。ここにヒロシの机があった。算数部の部屋は、教室の2/3の広さがあるが天井が高いので中二階の部分が作られていた。現在は改築の時に消滅した。
上に述べたが、一番驚いたのは職員室がなかったことである。また、職員朝集、終会がなかった。だから、一日いても他の学年の教官と出会わなくても過ごせるのだった。全員が会うのは、二週間に一度の教官会議であった。または、毎週火曜日の講堂での朝会であった。だから、教室には電話があり、これで教官どうしは連絡を取り合っていた。
算数部室で着替えて、ヒロシのクラス一部四年に向かう。子ども達に挨拶して、8時10分には運動場に出て、ドッジボールが始まるのであった。全学年児童960名が二つの運動場に分かれてドッジボールを楽しむのであった。このとき、初めて学年の四人の担任と出会い、連絡事項があれば簡単な打ち合わせをする。運動場での学年会議、これこそ明るい空の下で行うオープン会議であった。なぜ、運動場かというと、教官室には机がないから、学年の教官が集まる場所がなかったからである。
その後、マラソン開始である。一年中、ドッジボールとマラソンである。ヒロシは耐寒マラソンは経験はあるが毎日マラソンは経験はない。だから、四年生の子ども達についていくことができない。占春園という公園をハアハアいって走るヒロシがいた。一時間目の授業では、動悸息切れの解消から始まった。知力よりも体力がいる学校だと思った。
子ども達は、体力がつく。勉強の前にまずは体力優先であった。
はじめの頃は、神戸の頃と全く違う動きなので戸惑ったが、二ヶ月もすればすっかり慣れた。


笑瀾万丈43 通勤の様子

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通勤の様子

☆がらっと変わる生活
 ヒロシは、筑波大学附属小学校に通勤し始めた。
朝、六時二十分には起床して、七時すぎには自宅を出て、小学校には七時四十五分くらいについた。神戸の頃は車で八分の所だったから、八時に出ても余裕だったのに、七時に出るのはちょっと辛かった。でも緊張しているヒロシは希望に胸が膨らんでいた。一体何が始まるというのだろう。
初めのうちは車での通勤は慣れない道路だから、また渋滞でどれだけかかるか予想もつかないので、電車通勤を選んだ。
官舎のミニ団地から東武東上線上板橋駅までは徒歩で十分間であった。神戸の頃は団地は緑に囲まれた環境で、通勤途中もとても綺麗な景色であった。つまり、郊外だったということ。ところが、東京の官舎内は緑があるのだが、官舎を一歩出ると都会の下町で、あまり綺麗とは言えない景色であった。特に通勤路は裏側の道だったので、あまりの落差にがっかりした。この景色に慣れるのに少し時間を要した。奥さんもこの光景には少なからずいや大いに不満を感じていた。
東上線で池袋駅に出て、すぐ地下に降りるとそこは丸の内線であった。人、人、人の多さであった。とにかく人が多い。ただし、ヒロシは意外な光景を発見した。それは、整然と並んで待つ人々であった。電車も次から次へと来る。まさにラッシュアワーであった。列は乱れてもよさそうなのに、整然としたいた。この整然さは東京人の行儀のよさである。ヒロシは関西の頃をふと思い浮かべた。電車が来るまでは整然と並んでいるのだが、電車が止まった瞬間、列が乱れ、我先にと入る人が多かった。機動隊の突入ではあるまいに、我先にと電車に飛び込んでいた。まさに、陸上でのダイビングである。だから、列などはあまり意味がなかった。それと比較して、この東京人の整然とした姿はとても美しかった。現代の江戸仕草の再現といってもよいだろう。こんなことを感じるヒロシであった。
丸の内線の混みようは半端ではない。ほんの少しの隙間でも後から後から押し込んで来る。気合いがいった。
気合いと礼儀正しさを共存する東京人にヒロシもなっていった。




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