最新更新日:2024/12/20
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必要・必然、ベスト

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4/18 今日のひとこと

船井幸雄の人間学として「必要・必然、ベスト」の法則がある。

これを裏返すと、その人にとって必要でないときに貴重な情報がやってきても、

その情報はスルーしてしまうということである。もったいないけれどそれが現実である。

笑瀾万丈41 いざ 東京へ

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いざ、東京へ

☆新神戸駅にて
 四月の初めの朝、午前10時35分、新幹線の新神戸駅にのぞみ号が入ってきた。
 奥さん、長男、長女と四人でのぞみ号に乗り込んだ。二人掛けのシートを回転させて四人が向き合った。見送りに母親と弟がいた。
 四人は、これから始まる未知のドラマに期待と不安を抱きながら、見送られていた。
 静かにのぞみ号は発車した。
 故郷を離れるということは、…。感慨深いものがあった。
 五歳と七歳の子ども達は静かに本を読んでいた。景色も楽しんでいた。
 ところが。ヒロシは、何と仕事をしていたのであった。
 何かの算数の原稿を頼まれていて作っていたのであった。
 今振り返ると、あの時から移動の中でも仕事づけになることが始まっていたのであった。


笑瀾万丈40 突然の事故

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☆突然の事故
話は前後するが、多聞台小の二年目の11月のことだったと思う。つまり、附属小学校への転勤の話が決まった後のことである。
通勤の帰路で、交通事故にあった。小学校から自宅へ帰る道で交通事故にあった。道路は右にカーブしていた。だから、自然に車もカーブしたら、向こうから軽のワゴン車が突っ込んできた。そこで、私の軽自動車と正面衝突した。私はむち打ちになった。数ヶ月の治療を要したが、相手は入院した。これには参った。対人事故なので、心は痛んだ。本来は、カーブの道は一端停止線が引かれているべきであった。それがなかったのである。だから、直進優先だと言われたが、こちらの方が広い幅で、センターラインがカーブしていたのでそのまま走っただけなのに、ぶつかった。納得がいかないが、でも私の方の不注意だと言われた。しばらくしたら、一端停止のラインが引かれた。とはいえ、反省した。転勤が決まり気持ちが浮ついていたのだと思う。
幸いにも、相手側のけがも入院治療を無事に終わった。お見舞いにも行った。大きなことにならずに済んだ。

教訓:良いことがあると、ウキウキするのは当然だか、舞い上がりすぎると、宇宙からの警告がくる。慎重に行動したい。



笑瀾万丈39 附属小学校への異動決定

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☆附属小学校への異動決定
附属小学校への異動が決まった。未来への希望が出てきた。大学院から神戸市の小学校に戻ったとき、未来は全く見えなかった。
くさらずにこつこつと仕事や研究をしていたら、突然人事の話がわき起こり、そこからトントン拍子に進んだ。

教訓:未来への希望が見えたとき、一段とやる気になる。
教訓: 一つステップアップすると、それに付随して新しい仕事、役割が   舞い込んでくる。ステップアップが信用につながる。


時間に余裕をもつこと

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4/15 今日のひとこと
忙しい人はいつも忙しいといってすごす。

忙しくてもすきま時間を作り、その隙間時間を有効に使う。

時間に余裕がないと、チャンスに出会わないし、チャンスが来てもそのチャンスを生かせない。
なぜなら、人が合いたいというお誘いにのることができないからである。

笑瀾万丈38 教科書の著者にジャンプ

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教科書会社の著者に

☆離れる挨拶
 ヒロシは、この瞬間を待っていた。
 舞台は教科書会社である。多聞台小学校の二年目のときに、ある方から教科書の啓林館から算数の研究をするので参加してくださいませんかと依頼を受けた。問題解決についての研究会であった。大須賀康宏先生(当時は奈良女大学附属小学校だったと思う。その後愛知教育大学の教授)が研究の指揮をとっておられた。ヒロシの大学院時代に「問題解決」が数学教育の研究で流行っていた。その続きだった。
 二月の末に研究会がありこれで最後だった。
 いよいよ終わりになるとき、発言した。
「皆さん、どうもありがとうございました。私事ですが、四月より筑波大学附属小学校に異動します。東京に行きます。よって、この研究会には出られません。申し訳ありません。驚いた雰囲気だった。当時、研究会に出席していたT課長はびっくりしていた。
 ヒロシとしてはけじめとして発言しただけだった。
 するとどうだろう。一週間して、営業の方からぜひとも会ってほしいという。
 わざわざ多聞台小学校まで夕方、編集部課長のTさんとと営業部課長のKさんがやってきて、ぜひとも啓林館の著者として入ってほしいということだった。とてもありがたいことだと思った。
 筑波大学附属小学校のネームバリューのすごさをあらためて感じた。
 神戸市の一教員のままだったら教科書の著者の話はあったかどうかは不明である。
 だから、奥さんが言うには「名誉はお金で買えませんよ」の力を見せつけられた。
 誠にありがたい話であり、まだ附属教官になっていない段階で決まった話であった。ヒロシとしては地元神戸市は長年啓林館の算数教科書を採用していること、また恩師の三輪辰郎先生は中学校の教科書では啓林館の著者であることから啓林館に入ることは自然な選択であった。
 附属小学校に入ると先輩の手島勝朗先生が啓林館の著者でもあったので導いていただいた。例えば、手島先生は、三輪先生、ヒロシの前任者である窪田先生との会食を計画されて仁義をきった。三輪先生と窪田先生は同じ東京教育大学数学科なので旧知の間柄であった。
 実際、附属小学校に入ってから先輩を通じて別の教科書に誘われたことがある。ありがたい話ではあるが、しかし、私の気持ちは決まっていたのでゆるがなかった。
 世間知らずのヒロシは、こうやって先輩や恩師によって一つずつ人生の生き方を知っていくのであった。
 33歳で啓林館にかかわることになり、教科書の執筆を通して、たくさんの著者や編集部の方々とかかわって、算数教育の奥深さを学ぶことになった。啓林館の編集の特徴は、単に意見を言うだけではなく、実際に原稿に文字とイラストを埋めて、提案原稿とすることであった。教科書を作成するのに普通で、三年間の月日がかかり、算数の系統性の観点、児童の理解の観点、現在及び今後の算数教育の動向、文部科学省の考えを調和させての作業となる。現在63歳であるが、30年間もよくも続けてこられたものだとヒロシは思った。
 また、各地の先生方とも出会い、研究会、講演及び示範授業を通してさらに厚みのあるものとなった。感謝に堪えない。


第3回 4月第3週「音読指導のバリエーションをもとう 」限定配信

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

こんにちは。
「ユニバーサルデザインに基づく学級経営」動画を配信します。

第3回 4月第3週「音読指導のバリエーションをもとう 」
どうぞご覧ください。

    授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

志水廣主宰 授業力アップわくわくクラブ春道場 4月20日(土)

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志水廣主宰 授業力アップわくわくクラブ春道場


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笑瀾万丈37 ☆当時の附属小学校の人事の基本

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☆当時の附属小学校の人事の基本

ここで、筑波大学附属小学校の人事について述べておく。附属小学校の人事は退職される人の郷里から選出するというのがルールである。愛知教育大学のように、附属学校の教員は、愛知県・名古屋市との交流人事ではない。赴任すれば、以前の地域は退職となる。だから、まさに、行き場がない世界である。33歳で赴任して、60歳まで勤めあげるというのが基本である。だからこそ、打ち込んで学ぶことができる。自分なりの指導理論を組み立てるには、少なくとも五年くらい腰を落ち着けてやる必要がある。
ところで、筑波大学附属小学校の教官には、神戸市出身の人はいなかった。だから、普通は、この人事はありえないことである。実は、私の前任者のK先生が途中退職されたのである。Kさんは、東京教育大学出身であった。つまり、後の筑波大学である。だから、Kさんの後任は、筑波大学にお願いしようということになった。そのため、恩師の三輪先生のところに依頼がきたというわけである。三輪先生は、大阪教育大学のときの恩師である。それが、私が大学院に通う頃には、筑波大学の教授として栄転されていた。三輪先生としても、誰を推薦しようかと迷ったはずである。まさに私はついている。
大阪教育大学の頃、卒論の指導教官として三輪先生にお願いし、兵庫教育大学大学院の頃には、佐々木先生にお願いした。その当時、筑波大学附属小学校の存在もまた赴任の話も全くおこっていなかった。だから、偶然×偶然くらいの確率である。
私がついていた原因を振り返ってみよう。
何がよかったのかというと、教えてもらう指導教員は自分が選択したこと、それゆえにたくさん学ばせていただいた。それが結果的によかった。勉強は大好きであった。一生懸命やったのである。ゼミ仲間の中でもがんばった。もう一歩先を踏み込んでいた。つまり、どういう場面でも一生懸命やっていた。それが評価されたのだと思う。決して出し惜しみはしなかった。

教訓:どういう場面でも一生懸命やることである。それを誰かが見ている。
教訓:マイナスだと思っていたのが、後から、プラスの配慮だったという  ことがある。宇宙の配慮であろう。


みんななかよく?

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4/12 今日のひとこと

みんな仲良くとは言うけれど、そんなことあるのかな。

無理に仲良くしなくてもいいんだよ。

仲良いい人だけでいいの。

そんな人がいなければ、自分が自分と仲良くすればいいだけのこと。

笑瀾万丈36 その日の夜のこと

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☆その日の夜のこと
 電話がかかってきた。
「ああ、Kだけど。」
一瞬誰のことか分からなかった。だって、それほど親しく親戚づきあいはしていないのだから。奥さんのことは知っているが、旦那さんとは、一度会ったきりだったから。
やっと思い出した。
「はい、Kさんですね。」と返事をした。
 すると、突然、「東京へ行きたいのか」と質問された。
 ええっ??なんで知っているのか。校長先生だけに話したはずなのに。
と思ったが、「はい、行きたいです。」と答えた。
 すると、「分かった。」
と言って電話は切られた。
 きつねにつままれたようだった。
 ヒロシの頭に、Kさん?東京?
 こういう疑問にさいなまれながら、ぐっすり寝た。

 翌日、校長先生に挨拶に行った。「あのう、Kさんから電話があったんですが…」
「ああそうか。なんで、Kさんから…」というと。
「ああ、Kさんは神戸市教育委員会教職員課の人事の主幹だよという」
「はあ〜。そうだったんですか。」
 またもやびっくりであった。
 ヒロシの親戚に教育委員会の人事担当の親戚がいるなんて、全くもって知らなかった。おおぼけもいいところである。後日、偶然お会いしたとき尋ねてみた。「私が兵庫教育大学大学院に行ったことも知っていたのですか」
「ああ、知っていたよ」
 この一言に、ヒロシは救われた。大学院に行くときの境遇、そして、大学院修了後の動きをじっと見守ってくれている親戚がいたということに感謝した。
 この後、どういう動きがあったのかは知らない。
 筑波大学附属小学校と神戸市教育委員会、兵庫県教育委員会との間でスムーズに人事の話はまとまっていった。
 うまく行くときは行くものだとヒロシは不思議な感覚を覚えていた。
 なぜ、三輪先生からのお誘いが。なぜ、Kさんからの電話が。…などと考えていくと、人生は連鎖の固まりである。
 未知の世界へ飛び込むことになるが、この先神戸でどうなるかが見えない世界だから、ここで決断するのも良いと考えた。神戸では、またもやいじめられもかもしれないし、悶々とするかもしれない。

常時ウェルビーイング

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4/11 今日のひとこと

常時、ウェルビーイングでいたい。

常時とは、一瞬一瞬が幸せということ。

一瞬と数学的に言えば点。常時とは点の連続であること。つまり、直線である。

とはいえ、人は感情の生き物だから、+と−の出来事がやってくる。

だから、+や−の出来事に対して常に絶対値で生きると+の世界となる。

笑瀾万丈35  一通の手紙

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一通の手紙
☆筑波大学附属小学校へのお誘い
 9月4日のことだった。
 ヒロシが帰宅したら手紙が届いていた。見れば三輪辰郎とある。恩師からである。
 どうしたんだろうか。ヒロシは手紙を読んだ。
 今度、筑波大学附属小学校で教官の公募があるので、来ないかというお誘いであった。
 またまた、驚愕の場面がやってきた。
 神戸市と筑波大学附属小学校とは何の縁もない。なのに、こういうお誘いが来るなんて、びっくり仰天であった。
 早速、奥さんに相談して行きたいと話したら、不安そうな顔であった。
ともかく詳しく知りたいと思い、三輪先生の家に電話をした。すると、現在、附属小学校の算数科の教員のポストが一人空いている。それを補充したいという。前任者が東京教育大学の出身者だったので、附属小学校は大学に人事をお願いしたそうだ。
 あわてんぼうのヒロシは、即座に
「行きたい。」と返答した。
 すると、恩師からは、「そんなにすぐに決めなくてもよい。慎重に考えてほしい。」と諭された。
 へぇー、こんな道もあるのかと、半信半疑であった。
「それで、附属小学校に行ったらどうなるんですか。」と質問した。
「それは、算数の研究を一生するということだ。」
「その後、どうなるのですか。」と、たたみかけた。
すると、三輪先生はゆっくりと、
「志水君は地元でそれなりに活躍すると思う。もしも来るとしたら、附属小学校で一生終わる人が多い。そのほかは、大学に出る人、教育評論家などさまざまである。とにかく、一生勤める気持ちで来てほしい。でも、よく考えてほしい。」
 とても配慮した声かけであった。
 再度、奥さんにこのことを話して、東京に行くことについて話した。
「私は福岡(小倉)から神戸に嫁いできたのでやっと慣れてきたのに…。と言いつつも、最終的に、あなたの好きなようにしたらいいよ。」と言ってくれた。
 神戸の実家の母にも相談してお願いした。とにかくヒロシは長男なので
母親のことが気にかかるのである。
 翌日、朝、校長室に行って、附属小学校への転任の話をしに行った。
記憶が怪しいのだが、校庭の隣の敷地に多聞台幼稚園があって、園長はかつての上司だったので相談したかもしれない。
内田校長は、「分かった。教育委員会に連絡しておく」と話された。
「正式に、まだ決まったというのではありませんが」と話したのであるが、「そこまでの話ならば人事は進むと思う」と話された。



4月の教材研究 第1学年「かずとすうじ」

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

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新年度が始まり気持ちもリフレッシュされていることでしょう。
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志水先生の教材研究動画はわかりやすく丁寧に解説していますのでお役立てください。

4月の教材研究 第1学年「かずとすうじ」


  授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子


笑瀾万丈34 ダウン症との出会い

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☆ダウン症との出会い

 はじめて一年生をもった子どもの中にダウン症のTさんがいた。心根は優しかった。ただし、知的には遅れていた。周りの子ども達も優しく接していた。
 一斉指導の中で個別指導することの難しさを感じた。数の観念がまだ遅れているので、ダウン症への指導という本を購入し、夏休みに特訓した。一対一対応から始め、たし算までいくことができた。
 一度だけ運動場から戻ってこない時があった。砂遊びに夢中になっていた。手をつないで教室に戻らせた。二学期からは、両親の合意も得られたので特別支援学級にも通級するようになった。

4月の教材研究 第4学年「一億をこえる数」限定配信

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4月の教材研究 第4学年「一億をこえる数」


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4月の教材研究 第3学年「わり算」限定配信

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4月の教材研究 第3学年「わり算」


  授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

フレッシュ

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4/9 今日のひとこと
学年初めはいつも新鮮である。

新鮮な気持と態度で さあはりきってやるぞ。

笑瀾万丈33 神戸市の研究会

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☆神戸市の研究会
 五月になり、神戸市の算数研究部から声がかかり、市内の公開授業でやってみないかと言われた。飛び込み授業である。上田指導主事らの推薦ではないかと思っている。
 七月に一年生の授業で紙芝居で授業をした。たし算の作問の場面で、これは自分の学級でもやると、とてもうまくいき、長田区の学校まで行き、飛び込み授業をした。六学年全部の飛び込み授業で、そのうちの一年生担当でやった。算数部の幹部からは期待されていると感じた。この実践は、筑波大学附属小学校でも実践し、教材開発の本に実践を紹介している。

4月の教材研究 第2学年「算数のとびら」限定配信

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4月の教材研究 第2学年「算数のとびら」


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