最新更新日:2024/06/27
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常に心と頭にゆとりを

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8/21 今日のひとこと
心や頭が満杯になっていると、
新しいことが入らなくなる。

すると、古い心と頭で、酸化してくる。

新鮮な心と頭であるためには常にゆとりをもつようにしたい。

プラス発想を教育に適用してみよう

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〔教育への適用〕
 まず、子どもに未来を信じさせ、プラス発想を持たせることである。
 このプラス発想は、過去や現在を肯定することから始まる。そうすると、子どもの現在の力を肯定して指導にあたるべきだということである。
 例えば、三年生の子どもを受け持ったとき、何人かの子どもがかけ算九九をまだ覚えていなかったとしよう。そのとき、なぜ、覚えてこなかったのかと子どもに詰問したり、前担任のことを責めてもしかたがないのである。「そうか覚えてこなかったのか。でも、九九は算数では大事な内容だから、先生と一緒に覚えようではないか。」と子どもに問いかけてやりたい。これがプラス発想である。そうして、子どもに達成感を持たすことができれば、子どもから感謝されるのである。
 昨年、広島県のある小学校の校長先生にあった。その校長先生が赴任したときは、先生どうし、また先生と校長とのあいだで亀裂があったそうだ。これは、子どもにも影響して荒れていたそうだ。この荒れた事実については、地元の父母から私は直接きいたから間違いない。普通なら校長先生はなんと運の悪いことだと思うだろう。 ところが、違ったのだ。「私は、運がよかった。先生方はこの学校が悪いということを自覚されていたので、これからなんとかしようと声をかけたから、みんなそうだそうだと意見がまとまったという。だから運がよかったという。」これぞ見事なプラス発想であった。もちろんこの学校の研究公開は成功したのであった。私もこれ校長先生の姿勢を見習いたいと思った。
 どうも人生というのは困難な問題の連続であると言える。よくもまあ、つぎからつぎへと問題がやってくるものだと思う。だからこそ、この対処法としてプラス発想をしていかねばならないのだろう。ともかく、教師は子どもに対してプラス発想で見ていかねばならない。

手っ取り早い

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8/0 今日のひとこと
手っ取り早くもうたもの、手っ取り早くなくなる。

手っ取り早く身に付けたものは、手っ取り早く消えていく。

やはり、自分で考えて工夫して身に付けることが肝要だ。

「最近の若手の傾向」を配信します。

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

こんにちは。
第9回 子どもの心を引きつける学級・学年経営動画
「最近の若手の傾向」を配信します。

どうぞご覧ください。

  授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

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8/20 今日のひとこと
今のあなたが、マイナスの状態だとします。
いつかは底にたどりつきます。
そうすると、底をはうか、のぼるしかありません。
もうさらに底にいかないのですから、楽しみしかありませんね。

(5) キーワード5:プラス発想

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(5) キーワード5:プラス発想

 「世の中のことには偶然はない」と船井幸雄氏は言う。どんなことも必要・必然であるから物事が起こったものだという。だから、嬉しいことも、悲しいことも必要・必然と考えて、感謝してプラス発想して受け取って対処していくことだという。
 私は、ここ数年ほど運命論に関する本を40冊近く読んだが、そのどれもがプラス発想で生きることを強調していた。プラス思考、志向、積極思考、積極観念など言葉は違うが意味することはみな同じであった。数学の言葉で言えばプラス変換という言葉がぴったりだと思うが、一般の人でも分かる言葉でプラス発想を使う。
 ここで大切なことは、人間悲しい時、嫌なときにすぐにプラス発想ができるかということである。これは本当に難しい。でもしていくほうが事態の改善には一番早いといえそうである。だから心の訓練をするほかなさそうだ。

花火大会

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8/19 今日のひとこと
デスクで仕事をしていると、ボンと音がした。
花火だ。
刈谷の花火が自宅から見える。

昨年は、事務所の近くの田んぼで地域の花火を見た。

刈谷の花火を見たのは何年ぶりだろう。
仕事仕事の毎日だったから見ることがなかった。

今年は、自宅から花火が見える幸せを感じた。

算数のよさ

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 教材開発でも上の本物の条件は大切である。本物の教具は、単純な仕組みで誰でも使えるということ、準備が簡単ということ、いつでも使えること、どこでも使えることである。教具でいうとおはじきやブロックというのは汎用性の高い教具で本物と言えよう。
 だから、品物でもまた組織でも複雑化していくものには?がつくと船井氏はいう。逆に単純化していくものには価値が高いと言えるだろう。数学でいうと単純化していこうと思えば、それは原理的なものになる。集合の考えもその一つだろう。いろいろな事象を数理化していく中でより原理的なものを見つけていこうとする態度は、数学のよさにほかならないわけである。このあたりに数学教育の目標論をおくこともできるだろう。
 以前、学習指導要領で「算数のよさ」という言葉が登場したが、非常にシンプルであり的確である。しかも算数の専門の教師でなくともなんとなく分かることばである。そういう意味では「よさ」という言葉は本物といえそうだ。だから、私は、算数のよさというキーワードを支持するものである。
 なお、算数科の授業ではよさの前に問題が解けるという状態が一番大事である。子どもが問題を解けなくて、先に進もうとする授業を見ることがある。こういう教師の態度を周りの参観者ばかり見て、子どもを見ていないと言うのだ。上っ面の教育理論ばかりみて、子どもの実態を見ていないのだ。だからこういう教師をみるとなさけなくなる。算数科の本質、授業の本質が分かっていないと思う。子どもの理解は一歩一歩である。できない子どもをできるようにさせること、これが根本である。その次に算数科のよさを感得させるようにするべきだろう。
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志水廣 895 音声You Tube 夢現大69 授業づくり「授業の見える化」

志水廣 895 音声You Tube 夢現大69 授業づくり「授業の見える化」

外見から変える

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8/18 今日のひとこと

心の悩みはその人の内面から起きる。
これに付き合うと、つきが落ちる。

つくためにはどうすればよいか。
1つの方法は、外見から変えてみるのである。
例えば、・笑顔 ・顔につやを出す ・光物をつける ・姿勢をよくする
ことである。

斉藤一人さんは、つきのない人は顔がくすんでいるという。
その脱却には、頬にクリームをつけるとよい。
これで光るのである。
光れば明るく見える。
世の中の原理として、不均衡はやがて釣り合うという法則がある。
明るい服、明るい靴、明るいアクセサリーを着ると心も明るくなるのである。、


長く続かない

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 単純の反対は複雑である。教育の授業論で複雑化していくものはにせものである。例えばヒントカードがその典型である。子どもが分かるためには支援しなければならない。子どもの思考は多様である。だから個に応じるためにはヒントは個別にカードとしてあげなければならない。となると、複雑化の典型となるのだ。以前、このヒントカードの授業を見たが、教師は自力解決の間にヒントカードをあげるのに四苦八苦しておりしかもそれぞれに対処できていなかった。私は、ヒントカードをあげるひまがあったらなぜその子どもに語りかけないかと思う。「なぜ、こんな式になったの。」と聞けばいいのである。そうすると子どもは自分の考えを表現する。教師はそれに対して処方箋が浮かぶのだ。上の場合ヒントカードと発問とどちらが単純で万能でローコストかお分かりだろう。第一、ヒントカードを毎日持って算数の授業ができるかという根源的な疑問が私にはある。教育は積み重ねであるから、毎日教師が続けられないとしたら、これは子どもにとって不義理となる。また、結局根づかないものとなる。ヒントカードが必要な子どもというのは遅れている子どもであるが、その子どもには紙よりもむしろ教師の助言の方が効き目があるからである。人間が人間を変える影響力を持っているのである。ヒントの紙は人間よりも影響力が小さいのである。このことを、ある県の研究会で述べたあと、ある先生から「私の学校では、
 ヒントカードでやっていましたが、やめました。」と言われた。私の主張の通りだと言われた。複雑で長続きしない方法は結局だめになるということである。
 ただし、ヒントカードの役割を全面否定はしない。指導前に子どものつまずきの予想するためにヒントを予想することは大切であるし、また、問題を解くかぎとなる図をヒントカードとして用意することは必要なこともある。だから、要は程度の問題である。簡単な発問で済むのにもかかわらずヒントカードが絶対有効であるという主張は変だなと思うわけである。○付け法、復唱法、音読計算などはとても簡単で効果がある方法である。そして、それらは、持続可能であり、ローコストであるので本物の技法である。
 現場の先生がたよりにするのは何かというと「教科書」である。教科書は上の本物の条件に見事にあてはまっているのだ。恐ろしいぐらいである。手軽で、ローコスト、ハイクオリティである。だから教科書をもとにして援業をするのはあながち思いとは言えない。もし、教科書を離れて授業をするには、上の本物の条件を満たすことを考えながら工夫すべきなのだ。
 

授業の中で本物

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もう少し授業の中で、本物について考えよう。例えば、関心・意欲・態度の評価をどうするかということである。これは簡単だ。授業中、授業後の表情で判断できる。生き生きしていれば、評価にAをあげたらいいと思う。何も、詳しい評価基準を作ってそのとおりに細かいステップで評価しようとするのは、上の原理からはずれるから、本物ではない。つまり、にせものということになる。
もっとも、指導があっての評価であるから、授業で子どもが関心・意欲がないという評価をつけるということは、その人が指導できなかったことを意味する。変容させることができなかったので、本来は教師にとって恥ずかしいことである。医者が患者を治療できなかったことと同じことであるのだ。
 

心言一致

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8/16 今日のひとこと
心で思うことと使う言葉は一致したい。

そうすればなやむことはなくなる。

なぜなら、心と言葉のずれが真正にとって心地よくないものだから。

本物

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また、授業中の子どもの発言や表情も子どもの反応を見るのに本物のこつと言える。なぜなら、子どもが分かった瞬間、伸びた瞬間は感動であるわけだから、子どもの表情に現れる。この表情をみればすぐに分かるのである。
昨年、四年生の授業で角の大きさを工夫して求める授業を参観した。ある子どもがその工夫が分かった瞬間、思わず担任の教師に表情で訴えたのだ。「先生、わかったわよ」 という表情であった。本当にいい顔だった。周りの参観者はその子どもに気がついた。
ところが、残念ながら、担任の教師は他の子どもの個人指導をしていたため気がつかなかった。惜しい場面だった。せっかく共感できる瞬間だったのだ。授業における波動エネルギーの共鳴現象が起きるチャンスだったのだ。たまたま、私はその子どものそばにいたので「いい考えだ。」とほめてあげた。 ただし、その担任の教師の授業技術には学ぶべき点があったことを付け加えておく。

本物とにせもの

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〔教育への適用〕
 本物というキーワードは、商品以外でも教育の面で応用できる。
 例えば、教育では子どもをほめるということである。ほめれば子どもは喜ぶ。そして、自信をつける。すぐに効くし、無料というのがいい。ただし、ほめるときには真剣に伸びたところをほめることが大切なことであるが。
 では、その「伸び」はどこでみるかということになると、子どもの考えの表現だからノートに書いた考えである。ノートというのは単純、ローコスト、即効であると言える。だから、ノートに書かせること、またノートを見ることは本物の指導と言える。逆に、授業中にノート指導がない授業はにせものといえる。

(4) キーワード4:本物について

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(4) キーワード4:本物について
 船井幸雄氏は、最近の本の中で「本物」というキーワードを使っている。
 本物の商品は、次の特徴を持つという。
「A 1.単純、2.万能、3.即効、4.よいことばかりで副作用なし、5.制約がない
 B 1.安全、2.快適、3.ローコスト、4.ハイクオリティ
 C 1.自然がお手本 2.蘇生化していくもの」
 船井氏は経営コンサルタントだから、彼の会社にはたくさんの発明品がやってくるようだ。その中で上の条件にあてはまっているものがいい商品だと言っている。

眼鏡の効用

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8/13 今日のひとこと

物が見えないとき、眼鏡をかければ見えることがある。
眼鏡は見えるようにするための道具である。

学習面でも眼鏡が必要なことがある。
視覚優位の子どもには、聴覚茂樹では理解は促進されない。
視覚をメインとした道具が必要になる。

例えば、絵をもちいる。写真を用いる。動画を用いる。
これら視覚にうったえることが不可欠である。
だから、これらの道具が眼鏡と同じ役割をもつ。

一方、聴覚優位の子どもには視覚補助よりも音声を中心とした道具が必要である。

いずれにしてもその子の特性に応じた眼鏡に当たるものを提供したい。

「若手が立ち直った事例」を配信します。限定配信

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授業力アップわくわくクラブサロン会員のみなさま

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第8回 子どもの心を引きつける学級・学年経営動画
「若手が立ち直った事例」を配信します。

どうぞご覧ください。

  授業力アップわくわくクラブ 近藤雅子

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教育の目的

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 さて、人間を変容させるには、人間しかできない。今のところコンピュータにはできないと言えそうだ。それは授業論とからむ。人間が人間に伝えるためには、また変容させるためには、言葉という媒体をつかいながら、子どもの脳に刺激を与え、私の言葉でいうなら「精神波動エネルギー」だが、この波動によって子どもの受信機との波長が合ったとき、共鳴したときに理解した、分かった、変容したといえると思う。コンピュータがこの精神波動エネルギーを出せるかどうかが決めてとなる。現状では、なかなか難しいのではないかと思う。
 横道にそれたが、とにかく教育の目的は子どもに夢をもたせ、その夢の実現のために文化遺産、学び方、学ぶ意欲を身につけさせることであると考える。算数・数学教育ではその3つに対して場面を保証できると思う。だからこそ、算教科・数学科の存在意義があると思う。

学ぶ意欲

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人間本来学ぶ意欲は持っていると私は考えている。知らないことを知ろうとする、分からないことを分かろうとする気持ちは人間が生まれもったものである。そして、分かったという達成感は人間にとって快感なのである。
最近の脳の研究でも快のホルモンが出るという文を見たことがある。脳生理学者の大木幸介氏によると、「人間や、人間精神にとって最重要な神経はA10神経だ。A10神経は覚醒作用もあるが、主として「快感」を生じ、後で述べるように「創造性」も生じ、人間精神にとって最重要な神経であるのだ。…やる気が快感につながる。…快感が人間精神の原動力になる。…やる気は、脳幹の橋と中脳にあるA6神経とA10神経によって主として駆動され、醸成される。」という。(講談社)
 このことから、次の私の仮説はどうだろう。「世の中の生成発展のために人間は学ぶ必要があるわけだから、学ぶ以上は、創造主は人間にご褒美をやろうということになった。」それが分かる喜びであり、創造したときの快感であろう。
 学ぶことは本来快感だという立場に立てば、競争という概念で教育する必要はなくなると思う。受験競争の結果、大学では無気力な学生が入ってくるということは何という矛盾だろうか。競争が善だとしたのなら、大学生が意欲的であっていいわけだ。ところが現実は逆だ。大学生は、自ら学んでいく姿を示すべきだと思う。

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