最新更新日:2024/11/08 | |
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3/12 白木蓮今朝は、朝日を遮る曇り空だったので、白い灯火のように目立ちました。 3/12 紅梅3/12 6年生 理科2本のろうそくの燃え方について考えよう ガラス容器をかぶせて、外からの空気を遮断した中で、長いろうそくと短いろうそくは、どちらが先に消えるでしょうか? 3/12 5年生3/12 4年生 理科冷たいジュースを入れたガラスコップの表面に、水滴がつくことがありますが、なぜ水滴がつくのでしょうか。水滴はどこからきたのでしょうか。 3/12 3年生 算数新学年での算数が、順調に学習できるためには、今が大切です。 3/12 3年生 算数3/12 2年生 体育パスやドリブルの練習をしました。 雨が降る前にできて、よかったです。 3/12 1年生 書写3/12 1年生 書写3/11 東日本大震災から10年3/11 東日本大震災から10年全校で、1分間の黙祷を捧げました。 3/11 児童会企画今日、楽しかったこと、友達にありがとうと言いたいことなどを、児童会役員がインタビューして、給食放送で紹介します。また、昇降口に掲示して紹介します。 明日も、やりま〜〜す! 三和っ子のみんなが、仲良く、楽しく、気持ちよく学校生活が送れるように願っています。 児童会役員の皆さん、主体的な活動をしていて、素晴らしい! 今日の大放課、鬼ごっこでも、三和っ子が、とても楽しんで遊んでいる姿を見ました。 3/11 給食牛乳 鰺の塩焼き 牛肉とごぼうの炒めもの 芋っ子汁 【芋っ子汁】 芋っ子(里芋)を使った料理 岩手県・秋田県など、東北地方の郷土料理 東日本大震災のときに、炊き出しで出されたかもしれませんね。 震災の日は寒かったですし、東北の春はもう少し先だったから、芋っ子汁で温まった人たちもいたのではないでしょうか。 3/11 東日本大震災から10年【閖上小学校 体育館】 小学校も今は使っていない。体育館には、遺留品が集められている。遺留品は種分けされ、持ち主の名前がわかるものは名札が付けられている。アルバムは高校ごとに分けられている。丁寧に種分けされた方の心と労力に頭が下がる。すべて「遺留品」と言っていいのかどうか。帰る持ち主がいない物もあれば、持ち主が引き取りに来ない物もあるらしい。ランドセルの持ち主はわかる。ランドセルの数は亡くなった児童数ではない。何か取りに来られない理由があるのだろう。この体育館で上の3枚のみ写真を撮った。仏壇にあったであろうたくさんの位牌、海底から揚がった汚れが染みついた服、家族や仲間と写った記念写真、当日授与されたかもしれない卒業証書・・・。携帯電話のカメラレンズを向けられない物が存在する体育館の空気は、重かった。 <児童と職員は、運動場に一時避難後体育館に避難、津波襲来の情報を知り、校舎上層階に避難、引き渡さない措置をとり保護者も校舎上層階に避難、体育館は津波で浸水、児童298名全員、職員、保護者は助かった。> 3/11 東日本大震災から10年【閖上中学校 校舎内】 特別に許可をいただいて、我々は校舎内に入ることができた。黒板には「卒業」の文字が残っていた。この校舎は、今は使っていない。後日、校舎上階から撮った動画を見たが、津波は、家屋をそのまま流しながら中学校に迫り1階部分に浸水してきた。グランドに、2艘の漁船が流れ着いたそうだ。津波の前の大きな揺れと津波の力を受けながら、鉄筋コンクリートの校舎は丈夫に立っている。鬼崎中学校よりも状態が良いようにも見られる。愛知県の学校のように、校舎に後付けした耐震構造も見られない。後で知ったが、こちらの学校は元々耐震性の高い造りのようだ。 <校舎が、津波を正面から受けていたら、もっと被害が大きかったと思われるとのこと> 3/11 東日本大震災から10年【閖上中学校】 <校舎の時計は、14時46分で止まったまま> <14名の生徒が犠牲になり、慰霊碑に名前が刻まれている> 2011.3.11は卒業式だった。午前中に門出を祝福し、その午後に大惨事が発生した。上の写真の左側から津波が家屋や車を巻き込みながら押し寄せ、校舎の1階部分が浸水した。 学校の前の道は、避難してきた車が渋滞していた。車は津波で流され、多くの犠牲者が出た。「不思議ですね。こんなときでも、ちゃんと左側通行して渋滞に並んでいるんですよ(対向車線が空いているのに)。」とガイドの男性は言った。我々が、車での避難は危険だという教訓を知ったのは、東日本大震災後だ。そのときは、その後の自分に起こることを知るよしもない。 3/11 東日本大震災から10年東日本大震災から10年にあたる今日、訪問時に、名取市閖上地区、閖上中学校、閖上小学校で撮影した写真とともに、戻ってからまとめたレポートの一部を紹介します。 あらためて、犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。 【閖上地区 日和山(標高約6m)より】 2011.3.11、日和山より2m高い8mの大津波がこの街を襲った。住居があった。商店街があった。人々の営みがあった。津波は30分ですべてを奪った。道路、住居の跡(土地の仕切りがわかるように土台は残してある)が広がり、壊れなかった建物が点在する。この風景に、人の暮らしはない。 瓦礫(住民にはこの言葉を好ましく思わない人がいる)の山は、日和山より高い。港に建設した焼却施設で、今も焼却が続く。ずいぶん減っただろうが、視察用のバスの後をダンプが数台続く風景は日常らしい。我々のバスの後ろにも3台のダンプが続いていた。 ガイドをしていただいた男性は、この地区の商店街で自営業を営んでいた。「私の自宅があった場所です。」と示されたところは写真と同じ状態だった。地元消防団員として救助と避難所運営に尽力された。今年度末までは、名取市商工会に雇われガイドをしているが、この職の期限は今年度限りらしい。 津波で亡くなられた方の遺体の損傷はひどい。首がない胴体。胴体から離れた頭・腕・脚。身体は衣服がはがされ、真っ黒に汚されていた。ほとんどの遺体の気管に砂が詰まっていて窒息死だった。閖上の火葬場も水没した。他の街まで運ばれ火葬された。 「他市では、段ボールの棺だったが、名取市は木の棺に入れて送ることができた。」とガイドさん。 いつか我々の地区が被災地と呼ばれるとき、同じものを見、同じことを感じるのだろうか。 日和山は、標高約6m。天保山が再認定されるまでは、日本一低い山。街があった頃はさほど高く感じなかったのだろう。津波が押し寄せたとき、この高さを頼った人たちも流された。今の風景の中で、この元日本一低い山は、どこからも見られ、その頂は天に近い。私も手を合わせた。 3/11 6年生 体育コロナウイルス感染症拡大防止対策のため、身体的な接触の多い運動を控えているので、ゲームができないのが残念ですね。 3/11 5年生 算数プリントの問題に取り組みました。 |
常滑市立三和小学校
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