最新更新日:2024/06/26 | |
本日:19
昨日:178 総数:934006 |
遠足1・2年生
1年生と2年生は合同で、フラワーパークに行きました。たいへんいい天気で、楽しい時間を過ごすことができました。
遠足4年生
4年の遠足の様子です。青木川放水路の見学をしています。
遠足3年生
3年生の遠足の様子です。曼陀羅寺公園に行っています。
学校の働き方改革へのご理解・ご協力をお願いしますこれは、柴山昌彦 文部科学大臣が、保護者・地域の皆様へ向けたメッセージです。ぜひ趣旨をご理解いただき、今後ともご協力をよろしくお願いいたします。 任命式(4月17日)
今日、各クラスの議員、委員会の委員長・副委員長、通学班の班長の任命式を行いました。
それぞれの児童が、大きな声で返事をして任命証を受け取ることができました。一人一人のやる気が感じられてとてもよい任命式でした。また、委員長からは抱負を発表してもらい、各位委員会の活動内容がよく分かりました。 みんなの力を結集して、素晴らしい草井小学校にしていきましょう。 御囲い堤今回は、草井地区には欠かせない話題御囲い堤です。 『くさの井史』P177には「御囲い堤が築かれる」とあります。 本文を引用します。 平岩親吉は、検地奉行伊奈備前の守の発意になる尾張国境を擁護すべき大堤の築造を家康に進言し、家康の大命によって伊奈備前の守が木曽川修築工事の局にあたり、慶長14年(1609年)には略々築変されるというスピードさであった。築堤は犬山より延々50キロの弥冨に及び、ひとり木曽川の水害を防御するに止まらず、西国に備えての軍略上の意図が家康の主因とするところであった。よって、徳川幕府の要衝、尾張平野を安全に囲み、防護するものとして、この堤を、後世、「御囲い堤」と称せられる。 上の左図の画像出典は、『濃尾用水拾余話』3 御囲堤の功罪−美濃の不文律です。 ここから http://suido-ishizue.jp/nihon/12/03.html 史上名高い不文律「美濃の諸堤は、御囲堤より低きこと三尺たるべし」により、美濃の人々が苦しめられたいうことです。 また、下の画像は、3年生以上の児童が使用している『のびゆく江南』からお借りしました。 御囲い堤には、皆さんもご存じのように、写真のように桜が植樹された所が多くあります。 それはなぜ? 一説には、幕府が、「人々が桜を観賞することにより堤防が踏み固められる」と考えたからです。本当でしょうか? 『くさの井史』の一部です。 川面した側には、本堤の外に、二重の堤、三重の堤と称する副堤防や猿尾と呼ばれる水はね用の突堤を数多く築造して、今日の築堤学上よりみるも、その用意の周到さと規模の壮大さに驚嘆させられる。 草井地区、鹿子島地区などを守る堤がつくられたのです。 続きます。 【1年生】合同体育をしました
今日は1年生全体で、体育をしました。体育では、並び方や準備運動の仕方を練習しました。また、友達と体を使ったじゃんけんをして楽しみました。
今日の給食いつもとても元気な2年生。 落ち着いた様子で楽しく会食していました。 【今日の献立】 しらたまうどん ぎゅうにゅう ごもくうどん やさいかきあげ ほうれんそうのおひたし 給食の白玉うどんは、愛知県産の小麦粉きぬあかりを68%使用して作られています。 きぬあかりは、めん用に開発された小麦粉で愛知県内で広く作られています。 教室の様子とても落ち着いた様子で学習活動に取り組んでいました。 今週もよいスタートが切れましたね。 すくすく 草の井っ子草井小学校の教育目標の一つが身体がすくすく 草の井っ子 遊びの中で、丈夫でしなやかな身体と心を育んでいきます。 しかし、音楽が流れると、一斉に教室へ戻っていきました。 草の井っ子は切り替えもはやいのです。 今日の給食おいしい顔がいっぱいでしたね。 【今日の献立】 せきはん(ごましお) ぎゅうにゅう かつおのフライ キャベツのゆかりあえ さくらのすましじる いちごスティックケーキ かつおの旬は4〜5月と9〜10月の2度あります。一度目の旬をむかえるこの時期のかつおは、「初がつお」と呼ばれます。 脂が少なく身が締まっていて、さっぱりとした味わいが特徴です。 魚入神社 −3−先日は小杁の魚入神社を取り上げました。『くさの井史』を読んでいたら、さらに詳しい記述がありました。 P15より引用します。 −−−−−−以下引用−−−−−−− 小杁にある村社魚入神社は「尾張本国帳」にいう葉栗郡従三位魚入天神、延喜式外の魚入神社の由緒をもつとしており、津田正生の「尾張国地名考」では魚入(うおいり)は庵入(いをいり)の転じたるものとして、庵入姫に由来するという。 また、尾張大海媛の孫で八坂入姫の腹に生まれた五百木姫の音が変化して、庵入姫となったもので、景行天皇の娘なりと「尾張誌」では見ている。 −−−−−−引用終わり−−−−−−− 「五百木」はいおきと読み、いをいり(庵入)と転じたことも十分考えられます。 「尾張誌」は、天保15年(1844年)に序のある近世後期のもので、愛知県図書館にある写本では丹羽郡だけでも、巻之三十六から巻之四十まで、260ページあります。 ここから https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/32.html 機会があれば後日紹介します。 学級写真No.3(4月15日)
高学年の学級写真です。
学級写真No.2(4月15日)
中学年の学級写真です。
学級写真No.1(4月15日)
体育館で学級写真を撮りました。低学年です。
PTA新旧役員会、新委員会平成30年度の役員の皆様にもお越しいただき、22日の総会についての打ち合わせ等を行いました。 また、本年度の役員、委員の候補の皆様にも多数ご参加いただき、総会についてや今後の活動について打ち合わせていただきました。 新役員、新委員の皆様の建設的なご意見に、今後の草井小PTA活動の明るい未来が見え、大変頼もしく、また心強く感じました。 ありがとうぎざいました。 江南市 誕生秘話 −3−
『くさの井史』より、江南市が誕生した当時の様子を紹介しています。
小玉市長が選挙に当選してからも、「古知野市」への市名変更、布袋町の分離問題に揺れていました。 8月末には、布袋地区を除いた分離予算が可決します。 その中で、市名変更案が廃案になります。 布袋地区の中で、市名変更案が廃案になった以上、脱退の理由はないという意見が出始めます。 その空気の中で、小玉市長は4町村の円満合併に向けて奔走します。 昭和30年度予算は満場一致で可決し、晴れて4月7日に祝賀の春を迎えます。 この間の出来事は、『くさの井史』には記述がありません。 ご存じの方は教えていただければ幸いです。 下の写真は、市制発足を祝う市役所の風景です。 10年後にできる現庁舎までは、古知野町役場を市役所として使っていました。 向かって車の左側に、初代小玉市長が写っています。 円満解決したことに、ほっとしてみえることでしょう。 小玉市長、おつかれさまでした。 江南市 誕生秘話 ー2−
江南市は、昭和29年6月1日に誕生しましたが、
・ 7月に旧古知野地区から市名を「古知野市」に変更せよと陳情 ・ 布袋地区はそれなら脱退すると表明。 ・ 7月9日には、江南市議会で布袋地区の分離を可決 商工業で発展している古知野 対 丹羽郡役所があった政治と文化の布袋のプライドをかけた戦いがありました。 どうなる?江南市! ここで市長選挙が行われました。 草井村鹿の子島出身の江南市擁護の小玉進亮氏が当選します。 下の新聞記事はその時のものです。 8月5日、最初の議会が、古知野南小学校の講堂で開かれました。 議長が布袋分離問題の責任をとり辞意を表明、布袋地区は総務委員会を除いて、議員をどの委員会にも送りません。 8月6日、布袋地区は分離予算を要求します。 8月10日、小玉市長は分離引き留めで動きますが、区長会では分離要求を県に陳情、古知野地区も古知野市へ変更せよと感情的に対立します。 宮田・草井地区もよい感情を持たず、市から脱退する空気も流れます。 江南市、ピンチ! 明日に続きます。 来週の主な予定4月15日(月) 学級写真、委員会 16日(火) スクールカウンセラー来校 17日(水) 任命式 18日(木) 春の遠足(1〜5年生) 全国学力・学習状況調査(6年生) 19日(金) 春の遠足(バス 6年生) 春の遠足予備日(1〜5年生) (弁当持参) 今日の給食ALTの先生も3年生の学級で一緒に給食を食べてくださいました。 【今日の献立】 クロスロールパン ぎゅうにゅう メンチカツ いろどりサラダ はるやさいのスープ メンチカツは明治時代、ミンスミートカツレツという名前で作られました。 ミンスミートは、英語でひき肉という意味で、次第にメンチカツと呼ばれるようになりました。 |
江南市立草井小学校
〒483-8409 愛知県江南市小杁町長者毛西1 TEL:0587-57-8333 FAX:0587-57-6922 |