最新更新日:2020/03/31
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3月24日(火)1〜5年生臨時登校日(9:10下校)  4月7日(火)にじの丘学園小中学校入学式  4月8日(水)にじの丘学園小中学校始業式                                

◎深川小のあゆみ(昭和46〜47年度)

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 昭和46年4月8日、運動場の南側に「藤棚(ふじだな)」が建設されました。この藤棚は、現在も季節になると美しい花を咲かせてくれています。
 この年の8月1日をもって、教員の「宿日直制度」が廃止となりました。
 「宿日直制度」とは、児童生徒の下校後に、防災や防犯(侵入)を目的に教員が夜間に学校に泊まり込んで警備にあたる仕事でした。当時は「宿直(しゅくちょく)」と呼ばれることが多く、おもに男性教員がそれに従事していました。
 私(校長)が教員になったころにはすでに「宿直」はなかったので、当時の様子は先輩の先生から聞いて想像するだけでした。
 先輩たちの話によると・・・

 昭和40年代後期までは、どの学校にも「宿直室」と呼ばれる畳の敷かれた和室がありました。薄暗くて、ちょっとカビ臭いけれど、ふとんやコタツもあって、そこで残業をしたり、午後9時ころに校内を巡視したりしました。当時の妻子のある教員にとっては宿直(当番)がまわってくることが負担であったようで、若手で独身の男性教員はこうした先輩たちに強引に(?)宿直を交代させられたりしたそうです。
 ときどき学校の近くに住む子どもたちが担任の先生が宿直をしているのを知って、“差し入れ”(夜食)を持ってきてくれたので、お返しに先生が宿題のアドバイスをするなど「夜の勉強会」が行われたりしたそうです。なんともまぁ、ほのぼのとした時代でしたね。
 教員の勤務条件の改善や警備会社の業務充実という時代の流れの中で、いつしか記憶の中から忘れ去られたのが、「宿直制度」でした・・・

 昭和47年から6年生の修学旅行の目的地が大きく変更となりました。これまでは三重県(伊勢・志摩方面)であったのが、静岡県へ出かけることになりました。卒業アルバムを開くと、「三保の松原海岸」や「久能山 東照宮」、「登呂遺跡」などを見学しました。(写真 1・2)静岡方面への修学旅行は10年間ほどつづきましたが、諸事情により、また変更となります・・
 この年のアルバムで興味深いのは、児童玄関前で撮影された集合写真を見ると、運動場へおりていくところが、現在のような階段ではなく、まだスロープになっています。(写真 3)
翌48年3月20日、体育館の建築工事をいったん休止して、完成間近の体育館でこの年の卒業式は挙行されました。

◎深川小のあゆみ(昭和48〜50年度)

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昭和48年5月26日、体育館・公民館が運動場の西に完成したこと、そして本校が開校70周年を迎えたこともあわせての記念式典が開催されました。
 この年の卒業アルバムでは、できたばかりの体育館の玄関を撮影した写真が巻頭を飾っています。(写真 1)

 昭和49年2月、「第1回 瀬戸市小学生サッカー大会」が開催され、深川小学校サッカー部が堂々の優勝を飾りました。このチームは、3月に行われた「中部・近畿サッカー大会 少年の部」にも瀬戸市を代表して出場し、みごと準優勝になりました。これよりサッカーの強豪校・深川の歩みがスタートします。(写真 2)

 昭和50年4月、「特殊学級」(現在の特別支援学級の前身にあたるクラス)1学級が新たに設置されました。
 6月13日、運動場北西に「屋外便所」が新設されました。
 7月10日〜11日、6年生が「愛知青少年公園」(現在のモリコロパーク)へ一泊二日の野外活動に出かけました。(写真 3)
 6年生につづいて、12日〜14日には、5年生が茶臼山へ二泊三日の野外活動に出かけました。(この頃は、5、6年生が野外活動を体験したんですね)
 12月8日には「PTA保険団」が結成されました。年度末の3月24日、校舎前に芝生園が完成、これから学校内にグリーンが増えていきました。

◎深川小のあゆみ(昭和51〜55年度 −1− )

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【いろいろな分野で活躍する深川っ子】

 昭和46年度、深川小学校は瀬戸市教育委員会より体育(体力つくり)の研究委嘱を受けました。
 50年代に入ると、研究委嘱校となった本校の子どもたちはスポーツをはじめ、さまざまな分野で活躍する姿が見られるようになりました。
 その輝かしい記録を紹介させていただきます。

昭和51年1月  市少年サッカー大会 優勝
  52年2月  市小学校ミニバスケットボール大会 優勝
  53年2月  市小学校ミニバスケットボール大会 優勝
  同年2月  市サッカーリーグ  優勝
  54年1月  瀬戸地方サッカー大会  3位
  同年2月  市小学校ミニバスケットボール大会 優勝
     

 ミニバスケットボール部(当時は女子のみ)は“常勝軍団”だったようで、昭和52年から54年まで輝かしい「3連覇」という記録を残しています。
 サッカー部も昭和49年の記念すべき第1回大会で優勝を飾ってから、サッカーの強豪校として市内では有名になっていきました。
 また、ほかのスポーツ分野では、「瀬戸市水泳記録会」に参加した深川小の子どもたちが、昭和53年、54年の「リレー部門」で堂々の大会新記録を樹立しています。
 さらに音楽部門では、鼓笛隊が「せと市民祭」や「瀬戸市こども会大会」のパレードに参加して演奏を披露しています。
 
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◎深川小のあゆみ(昭和51〜55年度 −2− )

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昭和51年から55年度までの5年間は、スポーツ、文化などさまざまな場面で、深川小学校の子どもたちが活躍しただけでなく、教育環境やPTA活動なども充実してきた時期でした。当時にスタートしたり整備されたりしたことは、現在にも脈々と継承され、残っているものも少なからず見られます。
 昭和51年度に3年生以上の教室にカラーテレビが設置されたのにつづき、翌52年度には他の教室にも設置が行われ、全教室でカラー放送が視聴できるようになりました。(それまでは子どもたちはモノクロ放送をみていたんですね)
 同じく52年9月からは、学費の「自動振替」による入金が始まりました。
 PTA活動では、11月にPTA主催の「第1回ソフトボール大会」が開催されたり、12月には、体育館東にコンクリートブロックを敷き詰める作業が行われました。このコンクリート路盤は現在も、急な雨降りによる流水で運動場の土砂が側溝に流れ込むを防いでくれています。公民館横のブロックに目をやると、“昭和52年12月 PTA会員による奉仕作業”という文字の刻まれたプレートを確認することができます。(写真 1・2)
 52年3月13日、PTA30周年記念像「あした」(写真 3)の除幕式が行われ、記念誌が発行されました。
 53年3月に校門脇に花壇が造成されたり、54年3月に図工室北側の造園作業も行われたりしました。

◎深川小のあゆみ(昭和56年度)

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 はじめの画像は、昭和56年度卒業アルバムの巻頭写真です。運動場に面した斜面の樹木もまだまだ小さいですね。それから校門から玄関前ロータリーにつづく道路にフェンスが設置されていません。(写真 1)
 次は水泳の授業風景です。
 昭和28年度に設置された(旧)プールで行う水泳の授業もこの年が最後となりました。プールサイドのむこうには34年の工事で設置されたコンクリート製のフェンスが見えます。(写真 2)
 (旧)プールは、およそ28年間の役目を終えて、3月から取り壊しとなりました。この跡地には、“記念樹の森”が移設されることが決まっていました。
 昭和57年1月、「瀬戸市小学生サッカー大会」において、サッカー部が堂々の優勝を果たしました。(写真 3)
 3月29日、(旧)プールの取り壊し工事と並行して、校舎の北西側では新しいプールの建設工事もスタートしました。

◎深川小のあゆみ(昭和57年度 −1−)

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昭和57年6月9日、解体された旧プールの跡地(駐車場 北)に“記念樹の森”が完成しました。
 同年8月4日、新しいプールの「竣工式」が行われました。
 竣工式に先だって、7月15日にプール開きが行われて、子どもたちは水泳の授業を受けていました。今となってはなつかしい水泳帽ですね。

 9月18日〜19日、「せともの祭」の開催にあわせて、本校の運動場が無料駐車場として開放されました。(現在も開催時には開放していますね)

◎深川小のあゆみ(昭和57年度 −2−)

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 昭和57年10月8日〜9日、6年生は一泊二日の修学旅行に出かけました。
 これまでの修学旅行の目的地は静岡方面(登呂遺跡、久能山東照宮など)でしたが、この年から「奈良・大津方面」に変更となりました。
 彦根城の見学をはじめ、琵琶湖では遊覧船ミシガンの前で記念撮影、奈良の東大寺・大仏殿、宇治の平等院鳳凰堂などをまわったようです。

◎深川小のあゆみ(昭和57年度 −3−)

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[サッカー部 二年連続優勝!]

 サッカーの強豪校である深川小学校は「瀬戸地方小学生サッカー大会」(冬の大会)でみごと二連覇を成し遂げました。

 画像は、準決勝《深川小 VS 萩山小》の試合ですね。(グリーンとホワイトのユニフォームが深川小、レッドが萩山小)
 この日、対戦相手である萩山小のベンチには私(浅井)がすわっていましたが、体格、技術(テクニック)、スピード、いずれにおいても勝る深川小に[3−0]と圧倒され、決勝進出を阻まれたことを覚えています・・

◎深川小のあゆみ(昭和58年度 )

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昭和58年度は、深川小学校にとって創立80周年という記念すべき一年でした。

 5月26日には「創立80周年 記念運動会」が実施されました。現在の運動会は年に1回実施するのですが、当時は“春の小運動会”と“秋の大運動会”と年に2回の運動会がありましたね。
 同月29日には、「創立80周年記念式典」が開催されました。式典では、卒業生有志の方々より寄贈された「校歌碑」(写真 1)の除幕式が行われ、りっぱな「80周年記念誌」(写真 2)が配布されました。
 この記念誌は資料的な価値が高く、“深川小のあゆみ”を書くにあたっても参考にさせていただいています。

 12月には、校旗がゴージャスに新調されました。(写真 3)

◎深川小のあゆみ(昭和59〜60年度 )

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[昭和59年度]

 1月7日 深川小は、愛知県の「体力つくり優良校」に表彰されました。
 1月9日 木造校舎の解体、新校舎建設工事によって、大ヒマラヤ杉の根元に設置してあった「二宮金次郎 石像」が、新たに駐車場北側に完成した“記念樹の森”(現在地)へ移設されました。

[昭和60年度]

 10月15日〜17日 5年生は二泊三日の野外活動に出かけました。
 これまで野外活動の目的地は茶臼山高原(天竜奥三河国定公園)でしたが、この年より市内に新設された「定光寺野外活動センター(鹿乗町)」に変更となりました。

イノシシ目撃情報(8月27日)

 瀬戸市教育委員会より「イノシシ目撃情報」が届きましたので、お知らせします。

 8月27日(土)の深夜0時頃、品野中保護者が、落合町から北岡町方面へ移動する大きなイノシシ1頭を目撃したそうです。
 27日深夜のことですが、品野地区へ出かける方はご注意ください。
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適正規模・適正配置についての保護者説明会

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 8月28日(日)の午後2時より、本校のコンピュータ室(3階)で「適正配置・適正規模(小中一貫校新設)についての保護者説明会」が行われました。
 夏休み最後の日曜日という貴重な時間に、参加してくださった17名の保護者のみなさまには、このホームページの紙面をかりて感謝申し上げます。
 この説明会に瀬戸市教育委員会からは、加藤教育部長をはじめ4名の職員が来校されました。
 はじめに教育委員会からは、これまでに適正配置の方針にいたる経緯や、新設校の教育方針などについての保護者より出された疑問点へ「Q&A形式」で説明が行われました。
 つづいて「質疑応答」が行われ、多岐にわたる分野での疑問点について、一つ一つ丁寧に回答していただきました。また解決すべき課題などは市役所へ持ち帰って検討していただくことになり、1時間50分ほどで説明会は終了しました。

靴箱のリフォーム完了!

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 8月23日(火)から26日(金)にかけて、用務員さんらによる共同作業で、児童玄関にある靴箱のリフォームが行われ、その作業風景はホームページで紹介させていただきました。

 数日かけてのリフォーム作業がこのたび終わりましたので、生まれ変わった靴箱の全貌を見ていただこうと思います。
 今回は靴箱の上から3段をカットして、切断面に天板をはりました。棚板など破損した部分は補修したり、全体を白ペンキで塗装をしていただいたりしました。

 靴箱の上部が取り払われたことで見通しがよくなり、開放感もあるので、児童玄関全体が明るくなったように感じます。

 こんな作業が行われていることを知らない子は、9月1日の始業式の日に登校してきてビックリしたり、低くなった靴箱を見て
「ぼく、夏休みの間にむちゃくちゃ背が伸びたんだ!」と勘違いしたりするかもしれません。(そりゃないか?)

 夏休み中のトイレ改修工事で便器が新しくなったり、親子作業で壁が白く塗られたりしました。児童玄関は靴箱がリフォームされて明るくなり、さらに運動会には「おやじサポーターズ」のみなさんによって制作されたNEW退場門が登場するなど、気分リフレッシュの2学期となりそうです・・・


総合防災訓練 (1)

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 8月28日(金)の午前、本山中学校で「瀬戸市総合防災訓練」が行われました。
 この訓練には瀬戸市内の自治会をはじめ、それぞれの地域の防災リーダー、消防団など人たちが参加しました。
 
 今回は、駿河湾沖から日向灘を震源域としてマグニチュード9.0の南海トラフ地震が発生、瀬戸市でも震度6弱を記録する大きな災害が起きたことを想定して訓練が行われました。
 深川小学校からも3年生から6年生までの児童15名が参加して、応急手当や初期消火、煙道体験などの訓練をしましたので、その様子をレポートさせていただきます。

 参加した子どもたちは、消防署より貸与されたかっこいい帽子を着用して、テントの中で自分たちの出番を待ちます・・・

総合防災訓練 (2)

 今回の防災訓練では、瀬戸西高等学校や本山中学校の生徒と本校の児童、3校の子どもたちが訓練に参加しました。
 午前9時20分、校名のプラカードをもって子どもたちがグランドに整列、いよいよ未成年者の訓練がスタートです。

 画像は、腕などを負傷・骨折した時に固定するための医療用三角巾の代用品を、レジ袋をつかって作る「応急手当訓練」をしているところです。

 はさみなどで一つ切れ目をいれるだけで、レジ袋が三角巾に早変わりするとは・・・
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総合防災訓練 (3)

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 さらに、子どもたちは毛布や衣服と物干し用の竿(さお)などの身近な道具を組み合わせて、「簡易担架(たんか)」を組み立ててケガ人などを運ぶ体験をはじめ、“水消火器”を使用しての消火訓練、さらに煙道体験(けむりの充満して視界が悪いテントの中を通り抜ける訓練)をしました。

 およそ1時間の訓練体験でしたが、最後に消防署の方から参加賞(消防に関連したグッズ)をいただき、深川小学校へもどりました。

 9月1日(木)は「防災の日」です。子どもたちはこの日の体験をふりかえってくれたらと思います。
 行き帰りの引率補助で帯同してくださったPTA役員さんにこの紙面をかりて、感謝申し上げます。

靴箱のリフォーム (4)

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 靴箱のリフォームレポートの第4弾です!
 8月26日(金)は本校の松原用務員をはじめ、ふだんは祖母懐小、效範小、東山小、八幡小、幡山中、品野中に勤務する用務員さん合わせて7名が集まって、児童玄関にある靴箱のリフォームをしていただきました。
 今日がリフォーム作業の最終日ということで用務員さんたちは、「廃棄予定の切断された靴箱の解体作業を担当する班」と「靴箱に天板を取り付けて塗装を行う班」の二つにわかれて作業に取りかかりました。
 画像は、解体班の作業風景です。大きなハンマーで分解し、大きな板は電動のこぎりでカットします。
 バラバラになった木材はどんどんパッカー車に積み込まれていきます。

靴箱のリフォーム (5)

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 こちらは天板の取り付けと塗装作業のようすです。
 破損した棚は修理を行い、学級名のかかれたプレートなどはマスキングをほどこし、白ペンキを“二度塗り”して仕上げます。

 完成した靴箱は後日アップさせていただきますので、お楽しみに!

靴箱のリフォーム (3)

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 児童玄関にある靴箱リフォーム作業の第三弾です。

 8月25日(木)の午前、本校の松原用務員一人がリフォーム中の靴箱を塗装しています。
 どうやら白い靴箱に生まれ変わるようです。

 作業は明日が最終日で、他校の用務員さんも応援に駆けつけてくださり、天板の取り付けや塗装が行われて、リフォーム終了となる予定です・・・
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靴箱のリフォーム (1)

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 本校の児童玄関にある靴箱は昭和41年に校舎が建設されたときに設置されたものです。
 当時の児童数は645人。それだけの数に対応していた靴箱も、年月の経過とともに児童数が減少して現在はガラガラに空いた状態です。最近は容積をリフォームで半分にへらすことが課題でありました。
 8月23日(火)、深川小学校をはじめ、效範小、古瀬戸小、東明小、幡山中、光陵中あわせて6校の用務員さんが本校に集合して、1日かけて靴箱のリフォーム作業をしていただきました。
 まずは、のこぎりをつかって手作業でギーコギーコと靴箱を切断していきます・・・
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瀬戸市立深川小学校
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