最新更新日:2024/12/20 | |
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情報の価格情報はただだと思っている人がいる。 ただの情報はたいしたことはない。 本当に大事な情報は伝えない。 伝えるとしても、この人ならば教えてもよい人にしか教えない。 情報の本質は等価交換だということである。 コンサートに行くとする。その際、チケット代は払う。 それと同じで、情報を得たかったら、お金を出して本を買って読む。お金を出して講演会に行く。お金を出して研究会に参加する。 これがまずは前提である。 そして、さらに質の高い情報を得ようと思うならば、 直接会って尋ねることである。 でも、質問者が価値のある情報をもっていない場合は、等価交換にはならない。 1回目のつき合いはよくても、2回目以降はお断りとなる。 つまり、こちらの質の向上もあってこそ、質の高い情報を交換できるのである。 等価交換できるような情報をもつように切磋琢磨しよう。 石浦指導主事の訪問平成26年度の研修の年間計画を立てるためです。 すでに26年度の訪問日は決めておりましたので、 研修の内容を詰めました。 井手町にかかわって5年間経過していますが、着実に成果は表れてきました。 ただし、まだ課題もあるので、今後の発展を願って、大きな方針ととともに具体的な手立てについて検討しました。 石浦指導主事の方もあるプランを持参されました。 思わず納得です。 次への希望がわく相談でした。 ありがとうございました。 現場本当に役立つ情報は現場から得られる。 現場で起きている現象を見つめ、分析すればよい。 なぜ、現場がよいのか。 それは、「今」起きている現象だからである。 過去のものではない。 「今」である。 今、問題が起きていて、そして、解決しつつある。 一緒になって解決策を考える。 授業診断もそう、学校診断もそうである。 だから、現場に行くのが好きなのである。 一石三鳥夕方、研究室にお客さんがきた。 ある用件できた。 その用件を済ませつつも、別の仕事のうち合わせができた。 また、別の用件も誘ってみた。 すると、即時に承諾。 まさに一石三鳥の世界であった。 このお客さんはツイテイル。 ツイテイル人はこんなことになる。 負荷負荷をかけると人は伸びる。 負荷とはプレッシャーのこと。 プレッシャーがあるからそれを脱出しようとするところに伸びが生まれる。 負荷は、人が伸びるためにはやむをえないこと。 特に、予想される負荷はまだいい。 予想されない負荷が突然起きたとき、もがき苦しむ。 でも、これをなんとか乗り切ったとき大きな成長がある。 パーティをなぜするのか3月23日に小学校算数基礎講座と中学校数学講座を開きます。 お昼休みに出版記念パーティをします。 なぜ、最近、パーティをするようになったか、お話します。 以前は、単行本を出版しても特別なパーティはしませんでした。 でも最近はするようになりました。 パーティの意義がわかるようになったからです。 パーティは楽しい歓談の場だからです。 日本人は普段楽しいことは少ないと思います。 特別な日を設定して「ハレ」の場を作ることの意義を感じます。 だから、パーティを意図的に設定するのです。 そうはいってもいつもいつもパーティをするわけにはいきません。 何かの名目が必要です。つまり大義名分です。 単行本の出版はこれはこれはおめでたいことです。 単行本の誕生を祝って会をしようというわけです。 今回、落合康子先生は「愛と心を育てる算数授業」を 大羽沢子先生は、「算数授業のユニバーサルデザイン」を 明治図書から出版することができました。 本を世に出すということはとても奇跡的なことです。 この奇跡をお祝いするのです。 志水も含めて、著者の人と直接語ることができるのは奇跡的なことです。 パーティの意味には、同じ目的・意図をもった人が集まるという意味があります。 「ハレ」の場では、エネルギーの充電ができます。 人と人とが交流するときに元気がもらえるからです。 たった1500円で楽しい人が集まって語ることができます。 申し込まれたかたは、ちょっとパーティ気分で会に集合しましょう。 志水メソッドの効果お世話役の先生は挨拶もそこそこにいきなり 「意味付け復唱法のお陰で子ども達は友達の発言を復唱できるんです。だから、学力が伸びました。」 にっこりしながら、私に話してくれた。 本当に嬉しくて私に報告してくれたのだと思う。 「今発言したA子さんの発言をもう一度言えるかな」 と問いかけていくと、発言を復唱できるようになる。 その理由は、復唱を求めると、しっかり聴くことが必要になる。 だから、聴く力が伸びてくるからである。 そして、その上で、「A子さんの発言の数学的な価値について」考えさせるとよい。 すると、友達の発言の中に数理を見つけだすことになる。 ただし、注意がある。 他の子どもに復唱を求めるときには強制的な雰囲気で言わせてはならない。これをお仕置き復唱という。これではかえって教室の雰囲気が壊れてしまう。 あくまでも頷きながら復唱を求めるのである。 ○付け法への招待 ネットの検索してみると○付け法をネットで検索すると、「付け法」となってしまう。 そこで、「丸付け法」「丸つけ法」で検索してみてほしい。 下記は宮崎県串間市の教育研究所のレポートである。 かなり詳しいので読んでほしい。 http://mkkc.miyazaki-c.ed.jp/kenkyouren/19kenky... 第一声授業者の反省の第一声はとても大切。 「うまく流れたと思う」 この第一声は、教師の思う通りの展開を表す。 授業は認知と情意の戦いの場である。 だとすると、子どもの知と心に対して戦いがある。 うまく流れたというのは本当のことなのか。 子どもが見えていないだけではないのか。 とても気になる第一声である。 一歩の効果一歩前へ進むと、普通は一歩進んで終わり。 ところが、その一歩が自分のためになって、周りのためになると、二歩三歩進むことになる。 つまり、周りに連鎖が起きる。 周りも動かざるを得なくなる。 それが良い方向へと向かう。 だから、自他共に良い結果を生み出すことをイメージして行動するとよい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 写真 那覇市立天久小学校の庭にはバナナの木が植えられていた。 段差肉離れを起こしたとき、松葉杖と車イスを利用した。 わずか1cmの段差でも車イスは動きにくい。 だからバリアフリーのありがたさを感じた。 ひるがえって、人生はどうだろうか。 人生にバリアフリーはない。 段差ばかりである。 この段差をいかに乗り越えさせることができるか。 ここが生きる力となる。 意図的にバリアフリーの世界を作ってはいけない。 いや作れない。 だから、段差はあるものとして、いかに楽しく乗り越えることができるか。 このこつを教えていきたい。 そのためには、子どもは自己肯定感をもつことが大事で、 大人は信じることが大切である。 また、大人が楽しく段差を乗り越えていく姿を見せることである。 情報の公開改革の前に、正しい情報を得ること。 次に、情報を公開する。 そして、情報を共有すること。 さらに改革した後は、続きの情報を得ること。 それをまた公開すること。 学力アップというのは、情報を得て、その情報に基づいて改善し、それを評価することにつきる。 なんとはなしでは、結局やっても無駄となる。 子どもから「子どもから」という理想と現実。 「子どもから」という言葉は美しい。 でも、現実は、いつもそうなるとは限らない。 例えば、学習の「めあて」は「子どもから」。 そうありたい。 でも、分数のわり算の計算の仕方を考えたいと本当に子どもがいうのか。 心から言うのか。 言わされているのではないか。 現実は、可能なこともあれば不可能なこともある。 これが本当のところだろう。 希望の星今はスターが少ない。 スターの役割は、闇夜の中で一点の光を放つことである。 閉塞感ただよう世の中で、スターが必要である。 でも、特別なスターはいらないのかもしれない。 それぞれがこの世の中で一点の光を放つことができるといい。 それぞれが希望の星になればいい。 そうすると、満天の空となる。 わくわくクラブ DVD配布お待たせしました。 本年度3本目になりますわくわくクラブ特典のDVDを本日、配送に出しました。 2、3日で届くと思います。 今回のDVDは2学期に行った志水 廣の示範授業です。 教科書の教材ではありますが、とても楽しく授業しています。 教師の働きかけで、子どもが集中して考える様子を見て下さい。 また、示範授業の解説も落合康子先生にお願いしています。 単に見るだけでなくて、落合先生の解説でこの授業の仕掛けが見えてきます。 お楽しみに。 なお、授業記録についてもテープ起こしをしました。この文書は、メールで配信しました。これも併せてご利用ください。 やや遅れのお祝いその際、鈴木朝弓さんが花束を持参された。 私の誕生日のお祝いである。 メッセージに「志水先生と出会って、算数のおもしろさに気づくことができました。」 とありました。 嬉しいです。 どんなときにも笑いを楽しいときに、笑いを。 普通のときにも笑いを。 苦しいときにも笑いを。 なぜ、苦しいときに笑いがいるかって。 苦しいからこそ、笑いが次のエネルギーになるから。 笑えないときには、笑えないなあと言いながら笑う。 笑にもすがるとはこういうこと。 カウントダウン学年末がもうすぐ来る。 何を子どもに残そうか。 あわただしい行事の中、何かを残したい。 □をつかった式3年の「□をつかった式」であった。 この単元はとても難しい。 導入で挿絵をうまく利用して、「ひとふくろの数がわからないからできない。」 「ふくろのの中の数かがわかればできる」 と子どもから発言を引き出していた。 途中、□+4=16の解き方を発表させる過程では、 「(授業の導入で)10のとき14だっから、2ふえれば16になる。だから、12」 「16は□と4だから、□は12になる」 「4は決まっているから、16から4を引けばいい」 という発言を立て続けに導き出していた。 子どもが爆発した瞬間である。ここはとても素晴らしかった。 この授業はとても難しい。 そのわけは、教えることが多いからである。 □をつかうこと。□+4という式、□+4=16という式。 その式の解き方には二つあること。すなわち、あてはめるやり方と線分図から逆算で解いていくやりかた。 これらは全て教えることである。 このことを「算数教科書の定義・定理(性質)事典」(明治図書)に書いた。 p100を見て欲しい。約束Aに分類している。 教師がこのことを理解していなと、なかなか授業はうまくいかない。 この授業を参観しながらあらためて、教えること、考えさせることの区別が大事だと思った。 納得の過程私の足が不自由だと分かる。 「どうしたんですか」と質問。 肉離れだと説明する。 これで納得するかと思いきや、 「なんで肉離れになったのですか」 とまた聞かれる。 といわゆる原因追究である。 そこで、「どんな状況で」 と、またまた聞かれる。 「短い距離をダッシュしたから肉離れを起こした。」 と説明する。 またまたまた、「どんな場面で・・・」 と質問する。 この後の答えは内緒。 その答えで、ようやく納得。 このパターンが多かった。 人は自分なりに納得するまで聞きたいものだ。 |
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