最新更新日:2024/11/12 | |
本日:3
昨日:50 総数:702473 |
始業式当日の日程始業式の行われる9月2日(月)の日程は下記のとおりです。 8:30 〜 8:40 朝の会(健康観察) 8:40 〜 8:50 体育館へ移動 8:50 〜 9:05 始業式 ・校長式辞 ・わたしの目標(3年生代表) ・校歌斉唱 9:05 〜 9:15 後期用教科書配布 9:15 〜 10:00 学級活動 10:00 〜 10:15 帰りの会 *10時25分ころより、一斉下校を行う予定です。 新しい教科書(下巻)が図工室に届きました。始業式で校歌の演奏を担当する音楽部が使用する楽器もいっしょにスタンバイ完了です。(写真 下) 始業式当日、みなさんの元気な姿が見られることを楽しみにしております。 PTAクリーン大作戦 (2)
野球部、サッカー部、バスケットボール部、音楽部など、クラブチームに所属する子どもたちも監督、コーチなどの指導者といっしょに汗を流しました。
写真では紹介できませんでしたが、校舎裏や体育館周辺の草取りや校舎内で窓ガラスに飛散防止のための粘着フィルムを貼る作業もしていただきました。 航空写真のパネルが設置されました!これで、創立5周年記念からスタートして、およそ5年きざみで撮影された歴代の航空写真(合計7枚)がずらりと並ぶことになりました。 夏休み企画「八幡小の歴史」のまとめ夏の企画として特集した「八幡小の歴史」(平成7年度〜平成16年度)をまとめて、HP右側の「リンク」のコーナーに新たにアップしてみました。 これまでの「開校前〜昭和59年度」の10年間、「昭和60年度〜平成6年度」の10年間とあわせて、開校から30年間の学校の歴史をふりかえることができます。お時間にゆとりのあるときにご覧いただければ・・と思います。 ◎八幡小の歴史(平成7年度 1)八幡小学校は開校した当初から「センター校」でしたが、平成7年度6月8日、給食単独校化をめざして調理室建設工事が始まりました。 この工事は12月までかかり、現在の場所に調理室が完成しました。りっぱな回転釜が設置されると同時に、新たに開発された「強化磁器食器」(われにくい茶わんや皿)も納品されました。 これまで慣れ親しんできたアルマイト(金属製)の食器は、この年を最後に使用されなくなりました・・・ ◎八幡小の歴史(平成7年度 2)
平成に入って教育現場で働くわれわれにとって記憶に残る出来事の一つは「学校週5日制」の導入でした。
平成4年の9月から「学校週5日制」がスタートした時は、毎月・第二土曜日だけが休業日となるものでした。当時は、本格的な運用となるまでに「保護者が仕事のために留守になってしまう家庭の子どもの受け皿はどうするのか・・」といった問題が議論され、当面は学校休業日に体育館などの施設を開放して、子どもの居場所をつくるなどの措置をとった学校が多くありました。 平成7年4月より、毎月の第二・土曜日にくわえて、第四・土曜が休業日となって、隔週の学校週5日制となりました。 校長室に保管されている「学校日誌」を開くと、初めて第四土曜がお休みとなった記念すべき4月22日のページには、「休業土曜日」という記載が残っています。(写真 1・2) 昭和57年に発足したバトン部は残念ながら、この年を最後に活動休止となりました。(写真 3) ◎八幡小の歴史(平成8年度 1)それまでの金属製の食器はスープなどの熱い汁ものを注ぐと,熱伝導の良さから食器のふちまで熱くなることが「給食当番泣かせ」で、当番の子は食器のふちを指先でつまんで歩き、運び終わると耳たぶで指先を冷やす光景がみられたものです。(画像は、八幡小学校の昭和59年度・1年生の給食風景です) 新しくなった磁器食器は,汁ものを入れても熱くならず,また,かわいい模様もあしらわれて評判となりました。 また、この年に職員室、保健室、校長室にエアコンが設置されて、猛暑の夏は快適に仕事ができるようになりました。職員室をのぞく子どもたちから 「先生たちばっか、ずるい!」とよく言われたものでした。 ◎八幡小の歴史(平成8年度 2)8月4日(日)に行われた「第19回 瀬戸地方小学生サッカー大会」において、八幡小学校サッカー部は、準決勝で[八幡小 1−0 陶原小]、決勝戦でも東山小学校を相手に[八幡小 2−1 東山小]で勝利して、みごと優勝しました。 また、ミニバスケットボールに、男子チームが創設されて、瀬戸市の第1回大会に出場したのもこの年でした。 ◎八幡小の歴史(平成9年度)当日は、ヘリコプターも出動して、屋上へ避難した人を救助する訓練もありました。(写真 1・2) 2月5日(木)、4年生児童(在籍71名)のうち21名が、かぜなどを理由に欠席したために、翌日の6日(金)から7日(土)までの2日間を「集団かぜによる学年閉鎖」にする措置をとりました。さらに7日(土)には、2年1組が学級閉鎖となりました。(この頃はまだ、第一土曜日は授業が行われていましたので・・・) 2月15日(日)、音楽部の「第12回 定期演奏会」が八幡小学校体育館で行われました。翌年から会場が変更となるため、学校の体育館で行われる定期演奏会はこれが最後となりました。(写真3は、第11回のときの演奏風景です) ◎八幡小の歴史(平成10年度 1)カラフルなベストを着用して撮影用のセスナ機が、校庭上空に接近するのを待ちました。当時の在籍児童数は、412名でした。 ◎八幡小の歴史(平成10年度 2)当時の音楽部は、愛知県内のバンドフェスティバルにとどまらず、県外で開催される演奏会にも積極的に参加していたんですね。 子どもたちの演奏技術の高さやこうした実践が評判となり、音楽部の活動範囲はさらに拡大していくことになります・・・ ◎八幡小の歴史(平成10年度 3)◎八幡小の歴史(平成10年度 4)
子どもたちの演奏技術の高さで有名になってきた八幡小学校・音楽部は、過去12回の定期演奏会の会場として学校の体育館を使用してきましたが、年々増加する入場者数に対応するため、瀬戸市民会館(現在の瀬戸蔵が建っている場所にありました)に会場を変更することになりました。
広いホールでたくさんのお客さんに演奏を聴いていただけることは当時の部員たちにとって大きな励みになったことでしょう。 その新聞記事がこちらです。 ◎八幡小の歴史(平成10年度 5)当時の学校日誌を見ると、“多くの方の協力で、盛会のうちに終わる”と記載されています。 演奏会に市民会館が使用されたのは、この平成10年度だけでした。顧問であった弓削教諭に話を聞くと、 「予想を上回る入場者があり、さらに収容人員の多い会場が必要となったから・・」だそうです。 この時には、市民楽団のコンブリオシンフォニカが音楽部と共演しました。(写真 4) ◎八幡小の歴史(平成11年度 1)現在の「漢字・計算コンクール」の前身になる“ 漢字コンテスト、計算コンテスト ”がすでに行われており、「合格証(ごうかくしょう)」や「満点賞」など、教師自作の賞状がすでに作成されていました。 部活動では、平成8年度に創部した男子ミニバスケットボール部が第4回の夏季大会、冬季大会ともに優勝で飾りました。 ◎八幡小の歴史(平成11年度 2)フェスティバルの会場は、東京厚生年金会館(東京都新宿区)でした。子どもを引率して、新幹線で東京まで出かけることは費用面でもたいへんだったようで、保護者が遠征費用を集めるために走り回り、子どもたちも敬老会や地域のお祭りなどの演奏会で募金活動を行ったようです。 この時の参加記念トロフィーは現在も、学校玄関にあるガラスケースの中に展示されています。 ◎八幡小の歴史(平成11年度 3)第12回まで、学校の体育館で定期演奏会を行ってきた音楽部。13回から会場を市民会館(蔵所町1丁目)に変更しましたが、学校関係者の予想をはるかに上回る来場者数がありました。 わずか一年で市民会館から文化ホールに会場を変更したのは、より多くの入場者を収容できる演奏会場が必要となったからでした。 当時の学校日誌を読むと、“ 約600名 入場 ”と記載されており、演奏会が盛況であったことがうかがえます。 ◎八幡小の歴史(平成12年度)低学年から高学年までが割り当てられた時間にコンピュータ室へ行って学習をするわけですが、設置台数が20台程度しかないために、パソコン(パーソナル・コンピュータ)と呼ぶにはほど遠く、児童数の多い学級の授業では、二人で1台を交代して使用する光景も見られました。また空調設備(エアコン)がないため、夏場に行われる授業は、とても暑かったようです。 夏休みに入って、7月29日(土)に行われた「瀬戸市ミニバスケットボール・夏季大会」では、男子バスケットボール部が、陶原小、長根小、幡山東小学校を相手に3戦全勝して、みごと優勝することができました。 この頃より総合的な学習の時間に「環境」をテーマにした活動が行われており、学校日誌の7〜8月の内容を見ると、“ケナフの水やり当番・・・4、5年生”などの記載が見られます。収穫したケナフの繊維を使用して「紙すき」が行われました。 6年生全員が応援団を結成して、紅白対抗の競争種目などでエールを送ったり、迫力ある応援合戦でパフォーマンスを披露したりするなど、最高学年の子どもたちが運動会のムードを盛り上げるようになったのは、この年の10月1日(日)に行われた運動会がはじまりだったようです。 ◎八幡小の歴史(平成13年度 1)具体的な活動としては、「国際理解」や「情報」、「環境」、「福祉・健康」などをテーマにして、英語学習やコンピュータを利用した情報教育、ケナフ栽培による環境教育や田植えや収穫などの体験活動が行われる学校が多くありました。 八幡小学校でも、すでに前年(平成12)から段階的に始められており、3年生以上で年間50〜80時間ほど、「総合的な学習の時間」の授業がそれぞれの学年で行われました。 6月には、3年生が徒歩で40分ほどかかる水田まで出かけて「田植え体験」をしました。秋には稲刈りなどの体験もしたそうです。 回線工事によりインターネッが開通したので、総合的な学習の時間の「情報」では、コンピュータによる“調べ学習”(ネット検索)もできるようになりました。 これまで基礎学力を身につけさせるための勉強を「基礎基本講座」とし、学級単位(担任)で行われていた「学習コンテスト」を「計算・漢字コンクール」という名称にして全校で取り組むようになったのもこの年でした。 ◎八幡小の歴史(平成13年度 2)私が瀬戸市の教員に採用された昭和50年代後半は、ちょうど市内の小学校にプールが新設された時期に重なりました。 敷地内にプールが完成した学校は、それまでバスに乗って市民公園まで出かけて行っていた水泳の授業が、学校で実施できるようになりました。ただ、その頃の水泳の授業では、入水するまでに子どもたちは“二つの試練”に耐えなければなりませんでした。 まず、一つ目は「冷たいシャワーの試練」でした。プール開きの行われる6月頃はまだまだ気温が24度前後のことが多く、準備運動を終えた子どもたちにとって、水道水のシャワーを浴びることは、滝に打たれる修行に近いものがありました。あの頃の子どもたちがシャワーを気持ちよく感じたのは、夏休みに入ってからの「プール開放」の時だったのではないでしょうか? 二つ目は「腰部消毒槽(ようぶしょうどくそう)」の試練です。腰部消毒槽とは、4〜5段のステップと手すりがついた小さな水槽(すいそう)で、プールサイドでも、あまり直射日光の差し込まない日陰にあって、夏でもヒンヤリしたスペースでした。 冷水(?)シャワーを浴びた子どもたちは、冷たくて、塩素系のツ〜〜ンと鼻をつく臭いのする消毒液が入っていた消毒槽を通過しなければいけませんでした。足早に通過して先生に見つかると、 「ちゃんと10まで数えて、出ていらっしゃい!」と叱られたワンパク坊主もいました。「冷たいシャワー」と「消毒槽」は、お父さん、お母さんにとってもなつかしい思い出ではないでしょうか? 6月18日(月)、待望のプール開きが行われ、気持ちよさそうに温水シャワーを浴びる子どもたちの姿がありました。 12月2日(土)、八幡小学校音楽部は、三重県松阪市で行われた「東海北陸バンドフェスティバル」に参加しました。この時の記録写真は残念ながら本校には残っていません。お持ちの方がいらっしゃいましたら、学校まで連絡をください。 |
瀬戸市立八幡小学校
〒489-0861 愛知県瀬戸市八幡台3丁目1 TEL:0561-82-4445 FAX:0561-82-4027 |