最新更新日:2024/12/20 | |
本日:19
昨日:21 総数:446331 |
表と裏つまずきの指導では、表の指導と裏の指導がある。 表の指導とは、当面現れた誤答に対しての応急処置である。 これは救急病棟のようなものである。 すぐに診断して、何らかの処置をする。 問題は、裏の指導である。一般病棟に移ってからの治療のほうである。 もともと病気になるのには、慢性の生活上のくせがあったはずである。 この原因を探りだし、こちらの生活改善をすることである。 そのためには、どういう実態があるのかをきちんと分析することである。 そして、どうすれば生活していくのかを子どもに提案することである。 表と裏の両面から攻めていこう。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] この世の転生人は、この世で転生を繰り返す。 つまり、この世の中を生きていくとき、死んだり生き返ったりする。 もちろん、本当に死ぬわけではない。 この世での死とは、挫折体験の事を言う。 もうだめかと思う。苦しくて苦しくて辛いときがある。 でも、じっと我慢して動いていくと、新しい道が見えてくる。 このとき、生き返る。 しみじみと生き返ったことに感謝できる。 しかも、挫折体験で心が大きくなれる。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 心に対して親切な心に対して、親切な心で応じる。 また、親切な心を与えると、親切なことが返ってくる。 これが粋な心の交流。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 対話的説明型授業算数・数学の授業では、問題解決型授業が良いというのが定説である。 ところが、現状は、説明型授業が大半である。 説明型授業がそんなに悪い授業ならば、もうとっくに廃れているはずではないか。 問題解決型授業が旺盛をきわめているはずではないか。 現実は、ある意味真理を含んでいる。 つまり、説明型授業はベストとはいわないまでも、ベターである。 中学校、高等学校、大学にいたるまで、説明型授業が大半である。 これは事実であり、真理を含んでいる。 では、良いとか悪いとかの判断はどこですべきか。 子どもが「わかった」「できた」という声があがるかどうかである。 心の底から「ああ、わかった」と言えるような授業ならば、どちらの方であっても良い授業と認めたい。 ただし、この判断基準になると、結構、どちらの授業もうまく言っているかどうかとなると、あやしい。なぜなら、子どもが本当に考えているかどうかが問われるからである。 だから、私は、対話的説明型授業の効用をうたっている。 拙著 「算数力がつく教え方ガイドブック」には、そのあたりのことも含めて書いている。 http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-540018-7 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 明るい人は明るい人は、周りを照らし出す。 また、明るい人は、遠くまでを見通すことができる。 リーダーは明るい人でなくてはならない。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 熱く語るよりも熱く語ることは大切なことである。 語れなければならない。 でも、熱く語ると、聞いている方が引いてしまうことがある。 こうなると逆効果である。 相手の心に火を燃やすことがねらいである。 それには、相手の心のかすかな灯火を見つけて、少しずつ燃えるように風を送ることである。 大丈夫だよ。大丈夫だよと・・・。 その風がいつかは、小さな火となり、やがて大きな火となって燃えさかる。 キャンプファイアーのように。 教室経営でも、学校経営でも同じ原理である。 いけないのは、灯火に水をかけてしまうことである。 少しずつ風を吹いていこう。 天久小学校訪問師範授業と授業診断を実施した。 上の写真の先生は春木先生。 子どもたちがよく育っている。 ノート指導の確かさは、わかりやすい板書づくりからきていた。 言語力の豊かさとあいまって学習習慣の定着が見られるすばらしいクラスであった。 一番面白いのは、子どもに合わせた春木先生の自然な演技である。 まさに授業じたいが春木劇場であった。 緊張の原因は心がゆとりをもってくると、ちょつとしたことに腹を立てなくなる。 心が緊張状態にあるから許せなくなる。 その緊張はどこからきているのか。 ここの解明が大切。 何が堅く張り詰めさせているのか。 後から振り返れば、だいたいにおいて、どうでもいいことである。 どうでもいいことと判断するように、心をもっていこう。 人工と自然人工的な場所にいると、妙にイライラがつのる。 反対に、自然のある場所にいると、やすらぐ。 それがたとえ、荒々しい波の音であっても、やすらぐ。 不思議なものである。 知識と知恵ほんの12年前、これからは知識よりも知恵が大切と言われた。 だから、知識偏重教育はだめ。 内容の厳選と総合的学習が大切なんだと。 その当時、何を「あほな」ことを言っているのかと思った。 ある指導者は研究会で、知識より知恵が大事と高らかにうたった。 ならば、聞くが知恵だけを知っていても使えるのか。 豊富な知識がなければ知恵は生まれてこないのではないか。 知恵の格言だけを知っていても使えるのか。 時代は、急速に科学技術が進歩している。その際、知識がなければ新しい創造なんてありえないではないか。 子ども達には、もっともっと勉強しよう。読書もたくさんしよう。と言うべきではなかったのか。 そして、今は知識基盤社会だという。そこで、思考力・判断力・表現力が大切という。また、活用力も大切という。 知識偏重だと言っていたのが嘘のようだ。 要するに、知識と知恵はどちらも大切である。この世にうまれた限りはたくさんの知識と知恵を知り、新しい知識と知恵を生み出すような力をつけていきたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 花粉ショー気温が上がり、花粉が舞い散る季節となった。 眼がかゆい。 ハクション大魔王とともに鼻水たらたら。 ティッシュを慌ててとる。 その結果は鼻紙家の一族となった。 花粉ショーの開幕であった。 昨年はましだっが、今年はひどい。 眼を洗う。鼻うがいをする。ついでにのどうがいもする。 手の甲の指圧をする。 マスクで防衛。 でも、でるんだなあ。 ショウーがないか。 ご心配なく。本日は少し収まっている。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 意味付け復唱法への招待11 睡眠導入剤・なるほどね+復唱 ・うんうん、それで、・・・ ・例えば、・・・ ・それは、どういうことかなあ・・・ ・沈黙の「間」 そうすると、子ども達は気付きを話しやすくなる。 睡眠をもたらす睡眠導入剤があるが、上の言葉は、気付きを語りたくなる言語導入剤である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 新刊本 平積み書名 「算数授業に役立つ! 重要単元の学習指導案&板書モデル35」 (明治図書) http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-033718-7 平積みで高さが低かった。 これはどういうこと? [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ○付け法への招待128 ×つけでは、なぜ、×つけ法はいけないのか。 ×ならば、×と子どもに、はっきりと×だということを知らせなければいけないのではないか。 確かにそうである。知らせることは大切である。 しかし、そこで、問題は知らせ方である。 単に、教師から一方的に×とつけられても、その後、どうしたらいけないか、よく分からない。 どこが、悪いのか。 どうすればよいのか。 この点が明らかにならないと、子どもは納得できない。 だから、×をつけたとしても、その後の助言があるかどうかが大事なのことである。 その上で、考えてほしいことがある。 子どもか間違いたいのか。 本当の心は、始めから間違いたくはない。意図的に×になろうとしているのではない。 そこを考えほしい。 ×(バツ)という概念よりも、解決にいたるプロセスで勘違いしたということである。 だから、さらりと注意すればよい。 もっと言えば、途中までは合っているかもしれない。 それならば、途中までを認めるようにしたい。これを部分肯定という。 志水メソッドでは、「ここまでは合っているよ。ここからは、こうすればいいよ」と指示する方法である。部分肯定によって勘違いを知らせる方法が志水メソッドである。 これが愛のある指導である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] ごていあん年度末になり、来年度の企画が生まれる時期である。 ご提案することになる。 この「ていあん」の意味にはレベルがある。 「ご低案」ならば、困る。 「ご高案」でありたい。 すなわち、それは、「ご考案」である。考えて考えて練りに練った「案」でありたい。 すると、光り出す。 後光がさす、「後光案」である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 授業力アップわくわくクラブ特典DVD 3学期用送付大変お待たせ致しました。 本日、特典DVD3学期用を発送しました。 メール便のため2〜3日後着の予定です。 志水先生の講演「どの子も分かる・できる授業を目指して」(非売品)です。 「何を」から、「誰から」話を聞くとき、始めは「何を」聞きたいかを考える。 でも、同じ話だったら「何を」は消えてしまう。 そのとき残るのは、「誰から」である。 どうしても聞きたい人がいる。 営業でも、同じ品物ならば、「誰から」買いたいかを考える。 ここでも、この人から買いたいという人がいる。 学校でも教える内容が同じならば、「どの先生から」教えてもらいたいかが問われる。 最後は、「人」の魅力である。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 嬉しいサプライズ2月末が誕生日であった。 その日に学生の実習指導で授業を参観していた。 道徳の授業であった。 感謝の言葉、嬉しい言葉などを題材として扱っていた。 まめちゃんの日記の絵はその紙芝居であった。 授業の最後の44分目に、先生の感謝の印として、志水先生にプレゼントします。 ということで、上の寄せ書きをもらった。 すると、担任の教師は、ハッピーパースデーの歌を即座に合図して、子ども達が歌ってくれた。 実に粋な計らいをする学生と担任の先生であった。寄せ書きには、学生3人の文章があった。 ありがとうございます。 とっても嬉しいです。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 教材の価値エネルギー教材のもつ価値はエネルギーである。 このエネルギーは波動で表せると考える。 教師がこの価値エネルギーを感じることである。 このエネルギーの度合いによって、波動が高いか低いかが決まる。 子どもは教材と対峙することで、価値エネルギーを感じようとする。 それは、波動によって伝わる。 だから、元々の教師の価値エネルギーの高さが一番ものである。 算数の授業を見ていると、単に解き方を教えている授業と、 教材の価値を教えようとしている授業ではかなり落差がある。 3+2=5のどこに算数の価値を感じるか。 三角形、四角形の弁別のどこに算数の価値を感じるか。 そのためには、なぜ、この教材が生まれてきたのか。なぜ、この教材が今の子どもにとって必要なのか、そこのところを考えたい。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] 自己重要感人は、誰でも自己重要感を満たしたい。 なのに、人に自己重要感を与える人は少ない。 なぜか。 それは、自己重要感は与えられるものだと思っているから。 でも、それを待っているといつやってくるかは分からない。 むしろ、自己重要感を与える方が楽である。 あなたは「えらい」。 あなたのおかげて助かりますよ。 と言うだけで良いから。 すると、やがて、与える人は与えられることになる。 [学力アップを支援する志水廣の公式ホームページ] |
|