最新更新日:2024/12/20 | |
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M校長先生より昨日きたはがきより。 「今年は全員の先生が志水先生の講義を受けさせることができたことが大きな成果です。」とあった。 この学校に私は一度も訪問したことはない。 でも、M校長先生とは以前からのお付き合いでそのように愛知や各地の講演会に送って下さる。 こういう思いが教職員を変えるのである。 学校改革を考えるとき、 志の高い目標が必要なのは当然であるが、それを具体的に動いて実現するのは教職員である。 校長の役割は、その目標に向かって何をどのように働きかけていくのかが重要である。 [志水廣の公式ホームページ] 「○付け法」川柳
福岡県の金田小学校で川柳大会がおこなわれました。
ご紹介します。 1.ありがとう 君の笑顔に ○付け法 2.愛してる 僕もあなたも 復唱法 3.給料に つけてほしいな ○付け法 4.○付け法 3分間で 蟹歩き 5.ペンのあと レジで気づくよ ○付け法 6.超多忙 わたしもほしい 部分肯定 7.なるほどね すごいね君は ほめ伸ばし ○付け法も川柳になるとおもしろいですね。 金田小学校の皆さま、ありがとうございました。 一歩ずつ前進今日のNHKのスポーツ番組で、イチローが登場していた。 今シーズンは200本安打の大リーグの記録を達成したイチローである。 でも、7月にスランプが来た。 そのとき、何かを変える必要があったという。 精神論で変えたのでなくて、技術で変えたという。打撃のホームを少し変えた。前屈みを少し上に伸ばした。そうしたらまた、ヒットの量産が始まった。 イチローは「技術」で変わるという。 その上で人間性の変化について語っていた。 何が授業で変わったのか。 その変化は、授業の中で、明らかに変わったことが見えるものでなくてはならない。 それが技術だという。 しかも、それは困難をともなうものだという。 その通りで、技術を変化させるには、新しい技術が必要で、しかもすぐに取り入れて身に付くものではない。 鍛錬を積み重ねて、授業技術は身に付いていく。 真摯に技術力を磨いていく教師でありたいものである。 [志水廣の公式ホームページ] 一宮市 校長・教頭研修会本日、午後から愛知県一宮市主催の校長・教頭研修会に招かれて、講演をしてきた。 一宮独自の良い点とこれからの目標を話してきた。 ポイントは、「人が人を変える。人が一番影響を与える。どのような人を呼んできて、教職員に出会わせるか。」である。 そのための事例を述べてきた。 [志水廣の公式ホームページ] 算数数学の授業における「自力解決」の前提算数数学の授業には、説明型授業と問題解決型授業とがある。 どちらも長所と短所をもっている。 ここでは、問題解決型授業で気を付けるべきことを述べる。 1.いきなり問題解決を迫る授業・・・だめだめ授業 教科書の問題を提示していきなり、「さあ、やってみよう」という授業。 これを無謀な授業という。 そもそも教科書の問題というのは子どもにとって初めての問題である。 なのに「用意。ドン」とか「頑張って。はい」ではいけない。 初めて跳び箱に出会った子どもがいきなりハードルのある跳び箱を跳べるのか? 確かに「用意。ドン」で解けるこどももいる。でも、多くの子どもは解けない。だって、何をどうやればよいのかがわからないから、解けないのである。もちろん、○付け法は不可能である。 全員の子どもに自力解決させることを願うのならば、確かな見通しをもたせたい。 2.見通しをもたせる授業 このタイプの授業にもよい授業とだめな授業がある。 (1)少ない人数で見通しを発表させ、他の子どもに見通しのつながりをもたせない授業・・・だめだめ授業 問題提示の後、どうやればよいかと安易に質問し、できる優秀な子どもだけが見通しを発言し、真似させる授業。 このタイプの授業を集団カンニングという。 (2)見通しについて、なぜこの見通しが必要なのかについて、筋道立てて説明し、どの子にも確認を求めている授業・・・良い授業 例えば、「この問題は解けそうですか?」「解いていくやり方はわかっていますか」と確認のある授業。 以上のことをふまえた上で、自力解決に入る前提について説明したい。 見通しを9割の子どもがもっていないと、自力解決できないし、また、机間指導もできない。 特に、「9割の子どもが見通しをもつこと」は自力解決に入るための前提であり絶対条件である。 このことがない限り○付け法は不可能である。 参考文献 志水廣 志水メソッドによる算数の授業づくり ―どの子も「わかる」「できる」授業―【DVD付き】(明治図書) http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html... 第9回 算数・数学授業力アップセミナーの準備2011年1月末に行われる第9回の算数・数学授業力アップセミナーは名古屋の青年会館で開催される。そのための準備委員会を開いた。アウトラインは決まり、後は各分科会の最終打ち合わせのみとなった。 今年は特に授業での話し合いの仕方に重点を置く。 教材は、志水塾(愛称)の新テキスト「志水メソッドを生かした算数・数学の授業プラン」(fornext)をもとに実施する。このテキストの刊行は1月の末になり、セミナー開催には間に合う。企画してから約1年と3ケ月ほどでできあがることになる。 申し込まれた受講生の方には、事務局より分科会の事前資料をメールで配布した。冬休みの間に見ていてほしい。 このセミナーは、各地で行われる地方大会の総括と新年度への提案性を含めた研修会となっている。話し合い場面でのキャッチ&リスポンスについて、実践的に鍛えることをねらいとしている。よって地方大会よりは密度の濃いものとなっている。昨年度から名古屋に会場を移し利便性をはかった。 協力してくださる講師スタッフは手弁当である。しかも、スタッフもまた代表の志水も会費を払っての参加である。自分で講演しても謝礼はなし、むしろ受講費を払っているのである。セミナーに参加する人のなかには受講費・旅費は自腹の人も多くいる。福岡県から来られる人はどれだけの費用がかかるかわかるだろうか。一方、受講費・旅費まで学校が出しているところもある。それに比べて、スタッフは教えることも学びの場と考えて参加しているのである。 このような熱いの研修会であることを理解の上参加していただきたい。 スタッフはみなさんの授業力を上げるべく、準備をつくしている。当日は、わくわくするような会にしたいし、また実のある研修会としたいと考えている。楽しみにしてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] 圧縮付加法拡大指向のときうまく行ってもやがては伸びすぎてしまうことがある。 伸びすぎるとうまく行かない。 そこで、やるべきことは退却である。 その際参考になるのが船井幸雄が言う圧縮付加法である。 例えば小売り面積の半分をカットし、今までの商品を半分のところに積み上げるのである。残りの売り場は放置しておく。 すると、不思議なことにまた売れ始める。 つまり、密度が大切ということである。 だから、伸びきってサービスがうまく行き届かないときには、サービスできる範囲を削減し、サービスできる量まで減らすのである。 そうすると、密度が高まってくる。 参勤の学校現場を見ていると、範囲を広げすぎている。 圧縮付加法を使うとよい。 [志水廣の公式ホームページ] 恥ずかしい子どもが課題を達成しないときの気持ちはどんな気持ちなんだろうか。 一番は、恥ずかしいである。 友達ができて、ぼくができない。 算数数学の授業では、できない子どもの気持ちは恥ずかしいである。悔しいならまだいい。できる見込みがあるからである。 体育の授業では、この恥ずかしいが極端にでる。みんなの前で、飛べない跳び箱を跳ばせられる。逆上がりができないのに逆上がりをさせられる。 この恥ずかしい気持ちの脱却させるためには、できるようにさせるしかない。 どうやったらできるようになるのかを考えるのが、教師であるあなたの仕事。 [志水廣の公式ホームページ] 来年度のコンサルティングについて来年度の学校訪問による指導について、全面的に見直す。 多くの顧問学校が授業力が向上した。これは喜ばしいことであり、私も嬉しい。 厚く感謝している。だけれども、今年度、全く休養がとれず、働きづめであった。 来年度は本務の教職大学院における実習活動が増大するのは分かっている。本務が優先である。 よって、来年度は大幅に減らさざるをえない。そのため、来年度は今年度のルールを踏襲はしない。 やる気のある集団とお付き合いしたいと考えている。 やる気は、今年度の実績を評価していく。 また、義理と人情は守るように努力したいと考えている。 さらに、コンサルティングの方法そのものも大変革したい。 詳しくは。メール通信でお知らせする。 1月にはその方法を提案したい。 ご理解とご協力をお願いしたい。 [志水廣の公式ホームページ] 教師の人間性と声かけマイナス1のレベル いつも不平・不満を言っている。短所ばかりに目がいくレベル。 プラスマイナス0のレベル プラス1のレベル プラス変換できるレベル。俗にいうプラス思考の持ち主。 プラス2のレベル プラスもマイナスも超越したレベル。ニュートラル(中立)のレベル。淡々と受け止めることができるレベル。 さて、○付け法を教師たちが練習する場面があった。 354−338の筆算の○付け法の場面であった。 ある教師が、答えが12,26,692などの間違いに対する声かけをしていた。 なんと声かけしたか。 「12」に対して、「残念だったね」 「26」に対して、「残念だったね」 「692」に対しても「残念だったね」 と「残念だったね」の連発であった。 この練習の前に、部分肯定について説明し、具体的に「一の位は合っているね。10のメモは書けているね。5はどうなったのかな?」と教えたのにもかかわらず、「残念だったね」と連発していた。 教室中に、「残念だったね」が響き渡るとどうなるのか? 想像しただけでも恐ろしくなる。 教師の人間性がプラス1や2の人に、○付け法の声かけをしてほしい。 ○付け法を提唱するわけは、すべての教師にプロセス重視の教育をしてほしいという願いからである。結果主義だから「残念だったね」と評価した声がでる。部分肯定をして支援していくという気持ちならば、そんな言葉はでない。 「残念だったね」という声をかけた教師が、○付け法の正しい意味と方法を知ることによって、プラス変換する教師に転換することを願っている。言い換えると、教師の人間性向上を願ってのことである。 [志水廣の公式ホームページ] 人間性のレベル人間性にはレベルがある。 マイナス1のレベル いつも不平・不満を言っている。目の前の幸せにも感謝せず、短所ばかりに目がいくレベル。 プラスマイナス0のレベル プラスが起きるとプラスのことを言い、マイナスの事態が起きると、マイナスのことを言うレベル。 プラス1のレベル マイナスのことをプラスに受け止めることができるレベル。プラス変換できるレベル。俗にいうプラス思考の持ち主。 プラス2のレベル プラスもマイナスも超越したレベル。ニュートラル(中立)のレベル。淡々と受け止めることができるレベル。この段階になると、目の前のことを淡々と生きていくことができる。プラスにもマイナスにも直面しても、いつも感謝できることができる。 思うに、多くの人はプラスマイナス0のレベルではないかと思う。 一喜一憂して人間らしいのであるが、それほど心の貯金はたまらない。 プラス1や2のレベルになれば、心の貯金はたまり余裕がでてくる。 [志水廣の公式ホームページ] 良い説明型授業とえせ説明型授業ここのところの基本が明確になっていないと、授業は組み立てることができない。 説明型授業と問題解決型授業がある。 どちらも長所と短所がある。 今回は、説明型授業を認めたとして議論をしていく。 説明型授業でもよい授業と悪い授業があることを述べよう。 よくある授業タイプ 1.ひたすら説明するタイプの授業・・・だめだめ授業 ひたすらという意味は、子どもがわかろうが、わかるまいが話しつづけて、最後は、「どうみなさん、わかった?」「わかりました(一斉唱和)」となる授業 2.説明して分からせる授業・・・よい授業 「説明」というのは指導では重要な道具である。 良い説明とは、子どもが「分かる」ような説明をする授業である。子どもが分かるためには、子どもの既習の知識にそって、新しい数学の内容をつなげることである。 例 これまでは、こんなことを習ったね。そして、次の場合は、ここが今日の問題で新しいことだよ。この新しいことのためには、新しいルールがあるんだ。このルールのわけはこうなんだ。だから、このルールを使おうね。 第2学年 たし算の筆算 23+15の筆算はならったよね。今度は、23+19を考えてみよう。すると、一の位からたしてみると、3+9は12だね。この12は、これまでのきまりたど、一の位に書くね。すると、十の位は、2+1だから3ですね。すると、答えは、312となってしまうね。でも、数え棒でやってみたら、42となるよね。だから、一の位にある12というのは、十の束が1つと一のばらが2つということだから、この十の束1つは、十の位にあげますよ。これを繰り上げるといいます。 だから、十の束は4つと、一のばらが2つで、42となりますね。 このように説明することである。 この説明がきちんとできていることが大切である。 なお、説明でも途中の理由が欠けている授業は、よい授業とは言えない。 3.えせ説明授業・・・だめだめ授業 とにかく手順だけを教える授業。例えば、分数×分数は、分子どうしをかけて分子に、分母どうしをかけて分母にすればいい。はい、練習。 これで当面の練習もはばっちりできる。だけれども、文部科学省の全国学力テストになると、知識のテストにおいても破綻をきたす。まして、活用の問題などは全く手がつかない。 何も学力テストがそうだから、このタイプの授業が悪いというのではない。人間の頭にとって不都合だからこのえせ説明授業はだめというのである。そのわけは、意味がつながっていないからである。人間の脳は、「分かる」際には意味を求めるからである。脳の仕組みに合っていないからだめである。分かるためには、意味のつながり考えることが不可欠である。教師の役割は、意味をつなげることである。手順だけを暗記する教育は、馬鹿な人を製造しているだけである。当面の練習問題はできるけれど、後々の授業の問題において考えるようにはならない。それが証拠に、単純手順暗記で育てられた子どもは、次の担任が算数の授業で、みなさん考えましょうと問いかけても、行動を起こさない。そもそも考えるとは何かがわからないからである。罪深い授業だと自覚してほしい。 「えせ」と名付けたのは、当面子どもは解決できるだけに、良い授業と思われてしまうからである。よくできるようになるから、教師は困っていないし、子どももその教師に教わる限り困らない。でも、子どもの将来を考えると・・・困ったときがくる。 本当の教育とは、子どもが自ら乗り越えていくような教育でなければならない。 ぜひとも、説明型授業をするのならば、意味がつながる授業をしてほしい。 [志水廣の公式ホームページ] ○付け法 教材研究ワークシートご利用ください。 ○付け法の教材研究のためのワークシートを配布物にアップします。 ご利用ください。 <swa:ContentLink type="doc" item="26929">http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003/doc/26929/512281.pdf [志水廣の公式ホームページ] 数学がわかると楽しい中学校3年生のAさんの話。 Aさんは看護系の学校に進学したいと思っている。 ただし、数学が苦手である。 看護系に行くためには数学が重視される。 そのため、数学検定を受けようと思った。 そこで、再度苦手な数学の学び直しをした。 学校の先生、塾の先生、周りの友達にも教わった。 特に、比の問題は苦手だった。 比の問題が分かるようになった。 すると、理科の分野での比の問題も分かるようになった。 数学が分かるようになって、楽しいと思うようになった。 そして、数学検定を受検した。 見事合格した。 数学に自信をもちたいという人は、数学検定を受けてみるというのも一つの手である。 何級合格という目標を設定すると、そのために勉強を始めるようになる。 [志水廣の公式ホームページ] なぜか、うまくいくここ数日、原稿書きに追われていた。 ばだばたといくつかの仕事をこなした。 それでも、ある原稿の校正がなかなか終わらない。 出張のとき、空港の待合室、飛行機の中でも見た。残りは100ページある。 大学の仕事もたくさんあるなかで、原稿を見る必要があった。 大学の研究室で原稿書きをする時間はない。授業と会議と雑務で手一杯である。 自宅に戻ってからである。大学の研究室を出る時間は遅く、自宅に戻るとお風呂とHP更新で終わりである。だから、原稿書きの時間は、時間を生み出せないでいた。 やっと、普通通りに帰宅できた日が2日ほどあった。そこでたまった原稿を書いた。 明日は、印刷所に返却の日である。 夜中に、出版社の原稿を仕上げた。でも校正原稿は手つかず。 やむをえず、朝早く起きて原稿を見始めた。 1時間近く見て、大学に行った。1時間目は 授業があった。その後、すぐに11時から学生が来る予定である。これで1時間はとられる。とろこがなかなか来ないのである。 かかってきた電話では、調子が悪いのでゼミが終わった20時にしてほしいという。 これはラッキーであった。1時間が空いた。 また、この日は午後3人の訪問客があるはずだったが、一人は病気でキャンセルとなった。これもラッキー。時間が一人分空いた。 それでも2人の相談にのったので1時間は過ぎた。 どんどん校正原稿を見ていった。 すると、中学校の原稿のところがでてきた。 私も見て修正したが、中学校の先生にも見てほしいと思った。 すると、K先生が用事で年休とって研究室に15時に来る予定だという。これを知ったのはその日のことである。急遽電話して、来室予定の15時を13時30分すぎに来てもらうことにした。すぐに中学校の原稿も見てもらった。 そして、私の方は15時15分には原稿を見終わった。 K先生も同時に終了。 二人で原稿の確認をした。 終わったら、15時30分。 印刷所がやってきた。 間に合った。 この一日の動きを省みて、偶然が三回重なって、間に合った。 第1の学生は時間をずらすことなった。 第2の訪問客は相手の都合でキャンセル。 第3の中学校の先生は何日か前に訪問予定であった。それも別件で来る予定で、私は当日まで知らなかった。当日の朝、聞いたのであった。 3回偶然が重なるのは、確率的には低い。それが現実に起きた。 なぜが、うまくいった。 ありがたいことであった。 人に感謝、天に感謝であった。 このように、およそ不可能と考えられるほどつめつめの時間帯ではあるが、あるとき隙間が空き、通り道ができる。 本当に必要なときには、道を空けてくれるものである。 ありがたいことである。 [志水廣の公式ホームページ] 誠実さ信用は口先だけではつかない。 人は誠実さをみる。 誠実に行動しているかどうか。 この一点につきる。 「誠」を尽くして「実」行している者には、信用が積み重なる。 [志水廣の公式ホームページ] 前例をつくる前例がないとの理由で、新規提案は没になる。 でもよくよく考えてみたら、前例を作った人は、前例がないのに作ったのである。 とても勇気ある行動である。 前例がないから面白い。 こんなふうに考えたい。 [志水廣の公式ホームページ] 人の3倍ごくごく普通の人が伸びるためには、3倍努力するしかない。 同じ量だと優秀な人には負けてしまう。 30歳代の頃、筑波大学附属小学校にいた。そのときは、原稿書きが山ほどあった。 連載が月に6本という驚異的なペースで仕事をした。 毎日、担任として授業しながらこれらの原稿を書くのである。 お陰様で原稿を書くのが早くなった。 3倍の量を進めていくと、そのうち量が質を高めてくれる。 せっぱ詰まって原稿を書くと、どうしてもアイデアがほしい。このアイデアが生まれてくると、だんだんと良いアイデアがひらめきだす。 普通の人は3倍の量を自分に課してみよう。 すると、いつしかできるようになる。 [志水廣の公式ホームページ] 受容と強制教育は、新しいことを教えることである。子どもの立場で言えば、新しいことを学ぶことである。 この学びは新しいがゆえに難しい。 数学では新しい抽象概念を形成するから難しい。 このときに、「考えるんだ。考えろ!」「「やるんだ。やれ!」という教師からのかけ声だけでは、子どもは不安で仕方がない。 挑戦してみて成功したら、自信になる。 でも、挑戦してみて失敗したら自信をなくす。 この不安感をなくすことが教育の役割である。 でも挑戦させることも不可欠である。強制しなければ放任になり、何もやらなくても済んでしまう。 こう考えると、挑戦という強制と不安感をなくす受容の両面が不可欠である。 受容の反対は拒否である。拒否は不安感を増大させる。 「なるほどなあ」「そうだね」という意味付け復唱法での受容。 「いいよ」「ばっちりだね」「そうそう、その通り」「そう、そこが難しいんだよ」という○付け法での受容。 この受容があってこそ、健全に学ぶ。 常に、受容と強制をともなって指導に当たりたい。 [志水廣の公式ホームページ] どの子にも光を与えてほしいどの子にも学ぶ権利がある。 授業はともするとよくできる子だけに光が当たりやすい。 でも、できない子どもにも光を与えてほしい。 できない子どもははじめからできないでいいと思ってはいない。 日々の学習の連続の中で、できないという事実を見せられ、 友達から冷たい視線を浴びせられ、さらに愛のない教師は冷たい視線を浴びせる。 これでは、その子たちの居場所がなくなるのは当然ではないか。 私は、できない子どもだけを中心にせよとは言わない。 できる子どもに光を当てるのと同じように、できない子どもにも光を当ててやりたいのである。 授業を診断していると、不思議なことに知らない内にできない子どものそばに立っている。 ある中学校では転校してきたばかりの女の子に教えた。相似の問題ではあったができたのである。 次に、小学校6年生には、比の問題を教えていた。わずか1分間であったが、一言二言のやりとりで問題を解いた。 教師はよくできる子どもの発言を求めがちである。というのは、数学的なすぐれた発言をするからである。その裏には、できない子どもはすぐれた発言をしないという思いこみがある。まずはここから打破したい。 志水の授業は、できない子どもの発言も肯定して進める。未熟な発言であっても何かしら良い部分はないかと思いながら進めるからである。 すると、授業は俄然面白くなる。 それが愛で育てる授業である。 [志水廣の公式ホームページ] |
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