最新更新日:2024/12/20 | |
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進んでないようでも1つ1つの学びの進歩は遅い。 進んでいないようではあるが、少しずつ進んでいる。 あるとき、形となってくると大きく見える。 そこまでの辛抱ができるかどうかが能力開発の分かれ目である。 [志水廣の公式ホームページ] ノートの役割<頭の中でおぼろげながら考えたことを頭の外に出すことを「思考の外化」と呼ぶ。ノートは「思考の外化」のメモ書きである。そこには、考える手掛かりがあり、式や計算があり、考え方を表す言葉があり、算数の用語・記号がある。それらは、授業という空間で考えた足跡であり、新しい知識の宝庫でもある。ノートの機能には、記録、リハーサル、記憶、練習、考える力の育成、振り返りの交流がある。> (楽しい算数の授業 2007年1月号 編集後記より) [志水廣の公式ホームページ] なんとなくおそばのランチのあと、大学への帰り道。 知り合いの車屋に寄りたくなった。 行ってみたら開店していた。 これはラッキー。 店主に声をかけてみた。 Mさんはいますか? なんと来ているという。まさか。 遠くの人なのに来ていた。 近くのお店で買い物だという。 すぐに戻ってきてくれた。 30分間ほど店主と三人でだべった。 なんとなく直感にしたがうのもいいものだ。 [志水廣の公式ホームページ] エネルギー祭りになぜひとが集まるのだろうか。そこには、大きなエネルギーがあるから。 人と人とのエネルギーの掛け合わせで大きなものとなる。 組織体も掛け合わせになると飛躍的に伸びる。 [志水廣の公式ホームページ] 手順と意味算数の授業で、手順を教えるのが先か、意味を教えるのが先か。 よく議論になるところである。 これは教材による。 本来ならば、意味がわかってから手順に行くのが望ましい。 ところが、意味を説明しだすと、長い説明のときがある。 例えば、わり算の筆算について説明しようとすると、 たてる−かける−ひく−おろすの手順だけを遂行するだけでもなかなか大変なことである。 このときに、意味をつけるとなると、10の束で、1のばらでと説明が必要である。 854÷4や854÷23などになると、 意味を説明しだ゜すと、かなり難しいのである。 わかりやすいのは、簡単な手順である。短期記憶の容量から言っても情報量が多いと覚えられなくなってしまう。 だから、説明が長い場合は、まずは手順だけにしておくことである。 手順が慣れてから意味を追加しても遅いということはない。 一番困るのは、どっちつかずである。 [志水廣の公式ホームページ] ひと声元女性教師の話。 今、習い事をしていて、先生の言うとおりにしているつもりだけれど、 先生が私のところを無言で通りすぎると、不安になるという。 やはり、「それでいいよ」とか「ばっちり」とか「グッド」と 声かけをしてくれると、安心できるという。 机間指導での声かけは子どもに安心させる。 [志水廣の公式ホームページ] 優しくある程度までやったらどう生きるか。 人に優しく、自分にも優しく。 [志水廣の公式ホームページ] たし算、ひき算のことばひき算のことば 「のこりはいくつ」、「ちがいはいくつ」 このたし算とひき算の2つのことばを比較すると少し変である。 「あわせて」と「ふえると」は、操作の過程を表している。 ところが、「のこりは」は操作の結果を表している。 だとすると、 ひき算のことばは、「とると、のこりはいくつ」、「くらべてみると、ちがいはいくつ」 となる。 [志水廣の公式ホームページ] 恩返し人生も50代半ばをすぎると、これまでのことを振り返ることがある。 私が学んでこれたのは、様々な人、もの、組織のお陰である。 すると、この蓄積を世の中に還元したいと思うことになる。 人生の恩返しの時期なんだろうな。今からは。 [志水廣の公式ホームページ] まずは受け止める教師と子どもとのやりとりでまず大事なこと。 子どもの発言を受け止めるということである。 受け止めるとめには、相手の目を見てうなずくことである。 この動作はわずか1秒ほど。 これだけで、気持ちがこもっているかどうかが試される。 たぶん、このことは本人には気がつかない。 だから、自分でビデオをとってみることである。 または、他の人に授業を見てもらうことである。 たった5分も見れば十分である。 [志水廣の公式ホームページ] どうせどうせやらなければならない仕事だったら、 楽しくやろうよ。 楽しくやっていない人は、本人と周りの人に毒をまきちらしている。 楽しくやれば、オーラが違ってくるよ。 [志水 廣の公式ホームページ] 心の豊かさを得るには心の豊かさを得るには。 なあーんの得にもならないことをやるだけ。 それで、自分が喜び、みなさんも喜べば最高である。 [志水廣の公式ホームページ] 今の時代はSさんの説によると、 バブルの頃までは、競争原理の時代だった。 また、画一化の時代でもあった。 そして、競争原理は加速していった。 バブルが崩壊するまで加速していった。お金の力はすごかった。 ところが、リーマンショックで終わった。 競争原理の時代とともに、画一化から個性重視の時代となった。 これは変わっていない。 そして、今はどんな時代か。 これからは「心」の時代だという。 心で判断される本質の時代。 そこではたと思った。 「愛」で育てる算数数学の授業は、まさに「心」論ではないか。 お金も必要。しかし、「心」の豊かさも必要。 これが未来につながるとすると、よい時代にうまれてきたものだ。 [志水廣の公式ホームページ] まず出塁すること野球では、打者は、まずは出塁すること。 ヒットを飛ばせ!! 塁にでることだ。 そこから、点が生まれるきっかけとなる。 授業に似ている。 45分間、完璧にやりきることは至難である。 だから、導入ですこしヒット、展開でもヒット、そして、終末に「できた」「わかった」 という気持ちにさせることだ。 一つ一つの積み重ねが大事である。 研究授業という大舞台でホームランをねらおうとするからうまくいかないことになる。 ますば、ヒットを出せ。 [志水廣の公式ホームページ] 姿の美しさ本日の志水塾初級講座で、○つけ法の実技の場面があった。 ある男の先生は、非常にゆったりと周り、的確な指示で、なおかつ、タイムは速い!! あせって回ってはいない。なぜ速いかというと、子どものノートを見てからのその後の声かけまでの認知のスピードが速いのである。 あまりに上手なので、全員の前で示範をやってもらった。 つまり、スピード、正確さ、声かけ のバランスがとれていると、姿は美しいのである。 [志水廣の公式ホームページ] たとえ1分間でも本日、教職大学院は授業があった。土曜履修の学生である。学生と言っても現職教員ではあるが。 土曜日コースは、今のところ4人である。 内訳は、小学校の先生(男)、小学校の養護先生(女)、中学校の家庭科の先生(女)、工業高校の先生(男)。 ○つけ法を教えた。 すると、みなさんはりきって○つけ法をやってくださった。 中学校の家庭科の先生は、以前私の講演を聴いたことがあり、○つけ法を実践しているという。 その場で○をつけるので、後始末しなくてよいと話された。 二人ペアで○つけ法をした。すると、工業高校の先生の声かけが何とも優しいのである。 一度もやっていないのに、本当に温かい。 たった1分間のペア練習でも、ふだんの生徒への接し方がわかるものだと思った。 [志水廣の公式ホームページ] 体質改善○つけ法を学習したA先生は、いざやろうとすると、「いいね」「すばらしい」「がんばったね」ということが気恥ずかしい事だったという。 特に、○つけ法では、部分肯定してプロセスに○をつけていくので、○の基準が下がる。 これまでは、答えに対して○をつけていたのが、変わるわけで、結構たいへんだったという。 気恥ずかしさの克服という体質改善が必要だったという。 [志水廣の公式ホームページ] 唯聴心「唯聴心」である。 教師と子ども、子どもと子ども が、唯に心を聴くを実践できると、 慈愛の世界が生まれる。 源関校長先生によれば、20年前からこの石碑に注目していたという。 志水メソッドの根幹である『愛で育てる』が、「唯聴心」を実現すると確信する。 [志水廣の公式ホームページ] 長野県千曲市立埴生小学校訪問ほとんどの学級で授業を公開していただいた。 みなさんとてもよく頑張っておられる。 学校目標は高い「唯聴心」である。 「そうか、そうか」 と受け止めながら授業していくことである。 さて、上はK先生の授業写真。特別公開授業である。 子どもたちの聴く態度はとてもよい。また、自然なつぶやきがある。 「ふつう、4こずつ」という「ふつう」という言葉に子どもの優しさが表現されている。 この言葉を共感している子どもの姿があった。 また、4こを前提として、議論していくという、態度が育っていた。 つまり、定理を使っていく態度である。これが子どもなりの筋道たてて考えるということだと学ばされた。 [志水廣の公式ホームページ] ぶれないある校長先生が、A小学校に赴任した。 そこで、学力を上げるために、志水メソッドを取り入れると宣言したそうです。 その後、B先生が校長室で、このように話されました。 「校長先生、ついていきます。 ただし、ぶれないでくださいね。」 この一言は、校長先生にとってきびしかったという。 もちろん、この校長先生はぶれる人ではありませんが。 [志水廣の公式ホームページ] |
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