最新更新日:2024/11/11 | |
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今日の授業左上 1組 理 科;「生命を維持するはたらき」が学習をしています。 右上 2組 社会科;「日本の気候の地域差を見てみよう」の学習です。 左下 3組 家庭科;絵本づくりが始まりました。 右下 4組 英語科;Unit5 の学習です。 どのクラスも明るい雰囲気でした。 研究授業花委員会「朝の活動」今日の朝練習PTA広報委員会2学期末に発行するPTA新聞の紙面について、11月2日(土)の南中ふれ愛フェスティバルで広報委員会が行うDVD販売について、活発な話し合いが行われました。 夜遅くまでお疲れ様でした。家族の皆さんも、ご協力ありがとうございました。 管内駅伝公式結果
11日(土)に行われた尾北支所中学校駅伝大会の公式結果(Aチーム)が届きました。
男子 0:55:23 12位 女子 0:47:03 11位 オープン参加チーム 男子Bチーム 0:59:20 21位 男子Cチーム 1:02:33 25位 女子Bチーム 0:49:05 16位 女子Cチーム 0:52:36 21位 18日には西尾張駅伝大会が開催されます。 主役は生徒今日の授業左上 1組 数学科;方程式の学習です。 右上 2組 美術科;ドライポイントの構想を練っています。 左下 3組 家庭科;魚の栄養の学習です。 右下 4組 英語科;Do の疑問文・否定文の問題を考えています。 どのクラスも落ち着いていました。 今日の朝礼南風あったかげん記−641−昨日、南中ふれあいフェスティバルのオープニングで演奏していただくSalsa(サルサ)Band「Conjunto Domestico(コンフント・ドメスティコ)」の代表と音響担当の方が打合せに来校されました。 サルサとは、個性豊かなラテン音楽の一つで、キューバやプエルトリコ発祥のダンス音楽に、ジャズ、ソウル、ロックなどの要素を融合したもので、キューバの代表的な音楽です。 11月2日(日)の南フェスでは、体育館でのオープニング、さらには中庭コンサートを行います。そこでは、10名を超えるミュージシャンと、4名のダンサー、音響スタッフが来校します。併せて、キューバの写真や資料など、いろいろな展示も行います。ダンス教室もありますので、ぜひサルサのリズムとキューバの雰囲気を体験してください。 Conjunto DomesticoのHPです。 http://lelolai.ne.nu/ 今日の朝練習南風あったかげん記−号外−御園座へやってきました。第44回吉例顔見世は、二代目中村錦之助襲名披露です。初代があの萬屋錦之介なので、随分間が空きました。坂田藤十郎以下、萬屋一門がそろいました。演目は、鶴亀、修禅寺物語、河内山、最後が扇雀、かん(習元)雀兄弟による、藤娘と供奴です。おっと、そろそろ入場が始まります。また報告します。 南風あったかげん記−号外−今日は第4回教師力アップセミナーのために小牧中学校に来ています。講師は、あの野口芳宏先生。午前中の模擬授業では、良質の推理ドラマを見ているような、至福の時間が過ぎていきました。チャンスがあれば、内容を報告します。 南風あったかげん記−640−キューバの歴史の続きです。 映画「13デイズ」をご覧になられた方も多いでしょう。ハリウッドが初めてキューバ危機の真実に迫った社会派サスペンス・ドラマで、全世界が核戦争の危機にさらされた悪夢の13日間の真実をケヴィン・コスナーが好演をしました。 そうです。革命後のキューバに、ソ連が核ミサイルを配備し、その撤去を求めるアメリカと対立した事件です。米ソ両超大国が直接対峙し、世界は核戦争勃発の可能性に恐怖しました。冷戦の一つの頂点をなす事件です。 1962年2月3日に米国のケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表しました。この年、キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機となりましたが、映画の通り、米ソの妥協で危機を回避したのです。 これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化しましたが、1965年にアメリカとキューバは、キューバ人のアメリカ移住を認めることで合意し、1973年までに26万人以上がキューバを去ったのです。 今年2月、フィデル・カストロの弟、ラウル・カストロ(写真右)が国家評議会議長に就任しました。 アメリカは、北朝鮮ですらはずしたテロ支援国家のレッテルを、イラン、シリア、スーダン、そしてキューバの4カ国からはいまだにはずしていないのです。 あいち・読書タイム文庫の案内を配布しました野球部新人戦南風あったかげん記−639−キューバの歴史を概観してみましょう。その前編です。 ヨーロッパ社会には、1492年コロンブスによって発見されました。先住民は、スペインによってほとんどが絶滅したとされています。それ以後、スペイン人により植民地化が進み、砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げました。 19世紀初めには、ハイチの独立により、キューバが砂糖きびプランテーションの中心になり、世界最大の砂糖生産地となりました。さらに、たばこ生産も盛んになり、葉巻の通商でも富を得るようになりました。しかし同時に、独立の気運が高まり、一時キューバのアメリカ編入を目指す運動も起きました。 独立闘争は1868年に始まります。明治元年なので、近代日本の歩みと重なります。 一時休戦を経て1895年からはホセ・マルティ(写真左;この名前は覚えておきましょう!)らの指導による独立闘争が再発し、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の勝利で、キューバは1902年に400年に及ぶスペイン支配から解放され、独立を勝ち取りました。 しかし、事実上の米国支配が続き、アメリカ企業の進出に伴う国民の反乱で不安定な状況が続きました。バティスタ時代は、政権と米国政府・米国企業・マフィアがキューバの富を独占し、その富が米国本土に流れるような社会構造が形成されました。このような半植民地状態の克服を夢見て立ち上がったのが、弁護士フィデル・カストロ(写真中;有名ですね。)なのです。 カストロはメキシコ亡命後、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラ(写真右;この人も覚えておきましょう)と出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後キューバに再上陸、政府軍へ2年余りのゲリラ闘争を行った末、バティスタを国外逃亡に追い込み、革命政権を誕生させました。その際に、軍事法廷で旧バティスタ政権関係者を裁き、およそ550人を処刑したと言われています。革命政権は、農地改革法を実施し、砂糖よりも食料になる作物の生産に力を入れ始め、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進しました。1960年にソ連と正式な外交関係を結び、米国とは翌年国交断絶します。東西冷戦の渦中へと巻き込まれていくのです。明日へ続きます。 ※ 写真は、すべてWikipediaから引用しました。 南風あったかげん記−638−次に、狂言について紹介します。もちろん、日本の伝統芸能のひとつで室町時代に成立しました。 明治以後は、「能楽」といい、能とセットで演じられています。能と同じく猿楽から発展した芸能で、重厚さのある能にたいして、滑稽さを重視して発展したのが狂言です。簡単にいうと"室町時代の吉本新喜劇"なのです。 狂言は室町時代の口語を使った会話劇です。現代の日本語の基礎になる言葉なので、比較的わかりやすい言葉です。600年前の新喜劇と思って見てみてはいかがでしょうか。と言っても、吉本のようにアドリブとかズッコケはなく、芸として長い年月の間に練られ、洗練されたものです。 ぜひ、12月21日には、自分の目で確かめてみてください。 遊花幼稚園運動会管内駅伝大会 |
岩倉市立南部中学校
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