最新更新日:2024/09/28 | |
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駅伝選手候補集まる避難訓練松本先生より、地震の噂が出ているが、真偽は別にして、これを機会に地震に備えようという話がありました。 校長先生からは、みんなの最大の責任は自分の命を守ること。自分の安全を確保してから、家族や近所の人に気を配ること。その時には、近所の人は何人家族なのか、一人暮らしのお年寄りはどこに住んでいるのかという情報が大切になるので、家族で情報を交換してほしいという話がありました。 どうぞ各家庭でも地震の備えについて確認してください。 今日の授業左上 1組 社会科;国際社会と人権の学習です。 右上 2組 理 科;有性生殖と無性生殖との違いは何かを学習しています。 左下 3組 国語科;「メディアと共に生きる」の学習です。 右下 4組 英語科;プリントの問題を考えています。 どのクラスも集中して取り組んでいました。 南風あったかげん記−602−前回紹介した「鎌倉時代の勉強をしよう」は本当におもしろいサイトです。 なかでも「質問がいっぱい みんなの広場」では、質問に専門家が答えてくれます。 たとえば、上の2枚の写真は「蒙古襲来絵詞」の一部で、教科書にも載っている有名なものです。「蒙古襲来絵詞」は鎌倉時代の肥後国御家人竹崎季長(すえなが)が作成したもので、元寇の様子が絵と詞書に克明に記録されている歴史上超一級の資料です。その九大本とよばれる模本をネット上で見ることができます。画像も鮮明です。ぜひご覧ください。 http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshur... 季長の人間くささがたまらないですね。 季長は「先懸」(さきがけ)として突っ込んで(写真左)、すぐに負傷して手柄を立てられずに終わってしまいました。ただ、本人は手柄のつもりです。手柄として認められなかったので、鎌倉へ数ヶ月かけて直訴に出かけます。自分の馬の鞍を売り旅費にしました。鎌倉では、初めは相手にされませんでしたが、とうとう安達泰盛に面会を許され、直訴する場面が右の写真です。 「質問がいっぱい みんなの広場」では、「竹崎季長と安達泰盛の会話の内容を教えて下さい」という質問が載っています。 その答えは次の内容でした。引用します。 −−−−−−−−−−−引 用−−−−−−−−−−−−− 季長は自分が一番乗りの「先がけ」だったこと。惜しくも敵にやられて負傷したこと。司令官がちゃんと幕府に報告しなかったこと。なんとかお金を工面して鎌倉まではるばるやってきたこと。安達泰盛に会えて良かったこと。 一方,泰盛は次のようなことをきいたはずです。 戦の様子はどうであったか?一番乗りを証明できるか?親戚の者はなぜお金を貸さなかったのか?ここまで来るのは大変だったろう? 季長は鎌倉武士らしく堂々と答えました。働きそのものはそれほどではありませんでしたが、泰盛は有力な御家人として、また同じく勇敢な武士として季長のことを好意的に見ていました。ですから、将軍から与えられた領地の他に自分も馬と鞍を季長にあげたのだと思います。 −−−−−−−−−−−−引用終−−−−−−−−−−−− いかに恩賞としての土地が重要であるかを物語るエピソードです。その後、安達泰盛への感謝の気持ちを込めてこの絵を描かせました。 歴史は、人間のドラマなのです。 今日の朝礼その後、8月に長崎へ平和派遣に出かけた4名の生徒により、平和派遣報告会が行われました。それぞれ前を見て、自分で見て考えたことを語ってくれました。戦争の悲惨さ、理不尽さ、残酷さをしっかりと理解して、実際に被爆された方の気持ちと共に、後世に伝えていかなければと感じました。 生徒もしっかりと聴いてくれました。 今日の朝練習ジュニアオーケストラ定期演奏会南風あったかげん記−号外−今日は第8回岩倉市ジュニアオーケストラ定期演奏会へ行って来ました。会場の総合体育文化センターは、立ち見が出るほどの超満員でした。 今年はせり出し舞台でなく、弦楽器や木管楽器をフロアに降ろしたため、いつもと異なる雰囲気でした。 前にも書きましたが、オーケストラの運営はとてもたいへんです。日本アマチュアオーケストラ連盟に加盟しているのは、全国で145団体しかいません。全日本吹奏楽連盟は14,000団体を越えていますので、吹奏楽団の1%程度と考えればよいでしょう。 ましてやジュニアオーケストラは数十団体。そのほとんどが大きな都市に限られます。人口5万人足らずの岩倉市にあるのは驚異といえるでしょう。岩倉市民みんなで応援したいものです。 吹奏楽団に比べて、オーケストラはなぜ少ないのでしょう? 難しいからです。弦楽器の数がそろわないのです。 管楽器は、3年間みっちりやれば、ソロコンテストに出られるぐらいの技術は身に付くのですが、弦楽器は3歳から始めてもソロができるようになるには10年以上かかります。学校の部活動でオーケストラがあるところもありますが、聴かせるレベルまでもっていくだけでもたいへんな苦労がいります。 「吹奏楽に比べて人気がないからだよ」という声も聞こえてきそうですが、そうではありません。なぜならプロオーケストラは(たぶん)29団体あるのに対して、プロ吹奏楽団は片手もありません。 余談が続きましたが、今日の演奏は…。 今日は岩倉ジュニア出身のソリストがブルッフのVn.協奏曲を演奏しました。管楽器ならともかく、反響板で生きる弦楽器のソリストをフロアに降ろしたのは気の毒でした。会場は今後も大きな問題です。 「音楽のあるまちづくり」が浸透するには、今の子どもたちが大人になってからだと思っています。それまで、地道に活動することが大切です。 団地敬老会名場面集−3−終了後もビンゴゲームを手伝い、南中生にも笑顔があふれていました。毎年のことですが、お手伝いする南中生にも心温まる会でした。また一つ、優しくなれそうな気がします。ありがとうございました。 団地敬老会名場面集−2−10年連続指揮をされた大池先生に、感謝の花束が贈呈されました。これにはさすがの大池先生も大感激…。お礼の中で「どんどん生徒に声をかけてください。微笑み返しでお応えします。」と言われました。この言葉に大きな拍手が起こりました。 団地敬老会名場面集-1-団地敬老会団地敬老会団地敬老会今日は岩倉市ジュニアオーケストラ定期演奏会1 日 時 2008年9月7日(日)13:30開場 14:00開演 2 会 場 岩倉市総合体育文化センター 3 入場料 全席自由 500円 南風あったかげん記−601−昨日紹介した「御成敗式目」は、何度読み返してもおもしろいと思います。当時の武士の生活が垣間見え、今でもありそうな出来事が起こっていたことが分かります。 なかでも、51条の大半が、「所領」「財産」「相続」、すなわち土地に関することなのです。武士にとって、いかに土地が大切であり、「自分の領地を保証してくれる」「新しい領地がもらえる」しくみが鎌倉幕府を支えたことがわかります。 だからこそ、昨日触れた「分割相続」が、幕府衰退の原因になっていった理由も分かります。 実際に、奉行であった平政連は「御家人の所領の分限は、昔は過半が千町を超えていたのに、今は千町もある者は十余人に過ぎず、十分の九は四五十町であり、中には二三十町・十町ばかりの者もあって、御家人役も満足に納められない」と『平政連諫草』の中で嘆いています。土地を分割して与えるために、所領が減っていくのは当然のことでしょう。 先日、サブプライムローンが、家屋の値上がりを前提にした制度で、いつまでも続くわけがないと書きました。鎌倉時代も同様です。人口の増加と共に、「新しい領地が増える」ことを前提に成り立っている制度なので、これもいつまでも続くわけはありません。戦国時代の終わりに、秀吉が朝鮮へ出兵したのも、帝国主義が破綻したのも同じ原理です。 ところで分割相続の起源は? 武士は武士団を構成していました。一族全体が惣領(一門の長)を中心に強く団結していました。したがって、大家族のようなもので、相続といっても、今でいう独立とは違います。これが惣領制とよばれる制度です。幕府は、その惣領と主従関係(御恩と奉公)を結び、その一族をも支配しました。 分割相続は、武士団の団結を保障する接着剤なのです。 初めはこれでよかったのです。子の代、孫の代ぐらいまではやっていけますが、新しい領地がなければ行き詰まります。 御成敗式目の第26条「相続した土地を別の子供に相続し治すこと」では、すでにその兆候が見え初めています。実際にその後の代で行き詰まり、末期には制度も崩れてきています。女子の相続も一代限りになりました。 ところで、鎌倉時代は女子にも相続権があり、経済力があったために、尼将軍政子や巴御前のような勇ましい?女性がたくさんいた時代でもありました。社会的な地位とは、経済力が大きく影響するのです。 限られた紙面では書ききれないので、素晴らしいサイトを紹介します。 「鎌倉時代の勉強をしよう」 http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamaku... 内容豊富で、鎌倉時代のことを勉強するなら必ずチェックしておきたいサイトです。 南風あったかげん記−600−今日は魅力的な講演会が同時にありました。江南では、以前紹介した麓総一郎氏、岩倉では総合体育文化センターで藤原正彦氏の講演会です。 麓総一郎氏の講演は、これまでに3回聴いたので、今日は、岩倉ロータリークラブ創立30周年記念講演会 お茶の水女子大学教授 藤原正彦氏「日本のこれから 日本人のこれから」を聴きに行きました。 藤原正彦氏は、みなさんご存じの、あの『国家の品格』でベストセラーになった、新田次郎と藤原てい夫妻の次男で世界的な数学者です。しばらく、品格ブームが続きましたね。 今日の内容はメモしましたが、おおよそ『国家の品格』と同じ内容でした。豊富な読書量の藤原氏は、その事例が増えています。 個々には、誇張し過ぎの所や、矛盾するのでは?というところもありましたが、概して賛同できるもので、本の帯「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」そのものでした。 ジョークも上手く、これなら女子大でも十分人気が出そうな気がしました。 まずは「構造改革」や「規制緩和」、それに賛同した国民をバサッと斬ります。「自由」「平等」「公平」など、今の世界の常識にもメスを入れます。 「政治はえこひいきをするべきだ。1年生と6年生が喧嘩してよいのか?」 これはその通りだと思います。以前、行政にいた時に、「一律○%予算削減」と聞きました。私は「それはおかしい。必要なものを増やして、優先順位の低いのを削るのが政治だろう。」と思ったのです。政治に「公平」はありえません。弱いところに手厚くするべきです。 さらに、日本の良さを列挙します。江戸時代の教育水準の高さは、確かに世界一だったでしょう。教育改革も、フィンランドでなく、日本の歴史を見直すべきと力説されました。 そして、新自由主義の代わりに何を大切にすべきか。それは「情緒」であり「形」。さらに「惻隠の情」「卑怯を憎む心」…つまりは日本古来の「武士道」なのだと…。 個人的には、7割賛成、2割どうかな、1割ちょっと待てよという、おもしろい講演でした。 南風あったかげん記−599−
☆★☆ 続社会科こぼれ話−1− ☆★☆
「…サブプライムローン問題のことがよくわかりました。時々、社会科こぼれ話で時事的な話題を解説してください。」というメールをいただきました。 時々ならということで、「続」を付けて社会科こぼれ話を復活したいと思います。 今日の話題は、「御成敗式目」。全然時事的ではありませんが…。 これは、前回の社楽の会で、「鎌倉幕府の衰退原因になった分割相続はどう規定された?」と疑問に思ったのがきっかけです。 「御成敗式目」は、1232年に執権・北条泰時を中心に協議された武士政権のための法令です。全51条は聖徳太子の17条を3倍したものといわれています。 現代語訳がありますので、全文を読んでみましょう。 http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamaku... とてもわかりやすく書かれていますね。たとえば… 第12条:「悪口の罪について」 争いの元である悪口はこれを禁止する。重大な悪口は島流し、軽い場合も牢に入れる。また、裁判中 に相手の悪口をいった者は直ちにその者の負けとする。また、裁判の理由が無いのに訴えた場合はその 者の領地を没収し、領地がない場合は流罪とする。 ここからは、当時の裁判基準がかなり公平だったことが伺われます。 おそらくは、頼朝は問注所を設てけ公平な裁きをおこなったきたのでしょう。御家人から絶大な信頼を集めて「鎌倉殿」と呼ばれたのは、こうしたことも影響をしているのではないでしょうか。 原文には、「この右、右大将家の御時定め置かるる所は」と出てきます。右大将家は頼朝のことで、「頼朝公が決めたとおり〜」という意味です。「御成敗式目」は、頼朝の判断基準を文章でまとめたものといえるでしょう。 これが江戸時代まで生き、各国の分国法に影響を与えました。源頼朝という人を、あらためて追究してみたくなってきます。 PTAコーラス愛知万博メモリアル駅伝選考会−3− |
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