最新更新日:2024/06/28 | |
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【校長日記】 色丹島訪問記 −25−夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。 色丹島・穴澗初等中等学校を紹介しています。 今日は文学教室&歴史教室 。 さ 前にも説明しましたが、この学校は、生徒が教科の教室へ移動します。 海外では一般的ですが、教科の先生の部屋へ、生徒が休み時間中に移動するのです。 写真上はロシア文学教室です。トルストイやドストエフスキーの写真も当然ありました。ロシア語(国語)の教室とは別にあるのです。 偉人の写真の中に、何と、アレクサンドル・ソルジェニーツィンの写真が! ご存じのように、彼は、ソビエト連邦時代の反体制作家であり、強制収容所を世界に知らせた『収容所群島』でノーベル文学賞を取った人です。 ロシアとしては、偉大な作家として認めているようです。 ソ連時代とは違いますね。 その下は、今回のメイン、歴史教室の掛け図です。 日露戦争のポーツマス条約後の領土を、色丹島ではきちんと教えていました。 そして、現在の地図では、北方領土はロシアの色に塗られています。 まずは、日露戦争の結果を正しく教えているということに(当たり前のことですが)驚きました。 今の、隣の某大国とは違います。 【校長日記】 色丹島訪問記 −24−夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。 再び色丹島・穴澗初等中等学校を紹介します。 今日は数学室 。 歴史上の数学者の肖像が掲示されています。(写真上) かデカルト、パスカルを見つけました。 教室の掲示を見ると、かなりレベルは高いようです。(写真中) 特に驚いたのは、整数のn乗の表。(写真下) 5の5乗は3125。8の3乗は512。 ロシアの子はすぐに言えるようです 日本ではここまで覚えませんね。 この学校を出た生徒は、全員が大学へ進学します。 やはり、レベルは高いのか・・・? 【校長日記】 色丹島訪問記 −23−夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。 穴澗初等中等学校の紹介にもどります。 今日は保健室 。 学校の訪問で、私が最も驚いたのは「歯の治療ルーム」。(写真上) 週1回歯医者が来て、無料で治療をするのだそうです。 教員も緊急の時は看てもらえるが、一般人はだめです。歯磨き指導は、学校としては行っていないようでした。 保健室としては、とても殺風景でした。(写真中) 日本の学校へ来たら、驚くだろうな・・・。 身長体重計です。(写真下) このほかの情報です。 ・ 義務教育は9年。1〜4年生が日本でいう小学校。5〜9年生が中学校。10、11年が高等学校 ・ カリキュラムは地方によって異なる。前(ソ連時代)は同じだった。 ・ 村長が言うには、「ソ連時代はよかった。失われた20年があったけど、最近少しずつ復活してきた。 例えば、教員資格の確認テストなどが復活した。かつては、10,11年生が行く中等職業訓練校が約1000校あった。ロシアになり、それらがすべてなくなった。技術者を育てる仕組みが壊れた。」 我々社会科教師にとって、ソ連からロシアに変わってどうなったかは最大の関心事です。 複数の人に尋ねても、意外な答えが「ソ連時代が良かった」 これには驚きました。 職員のボロスタシビリさんは、「ゴルバチョフは破壊者、プーチン&メドは創造者」と言っていました。 西側に人気のゴルビーは、ロシアでは人気がないというのは本当でした。 「今から100年後に、20世紀後半の世界史で、教科書で太字になるのはゴルビーと山中伸弥教授」と、予言しておきます。 ・ 授業時間は、9時〜3時30分。終わったら帰宅。その後、部活動に行く子や、音楽塾へ行く子など。 ・ 1,2年生は、1,2時間目が終わってから20分の給食。終わってから3時間目。午後は2時間か3時間。 ・ それ以上の学年は、午前3時間、昼食後3、4時間。授業1単位時間は45分間。 ・ 男女比は約半々でした。 明日に続きます。 【校長日記】 なぜ岐阜・愛知に地芝居が多い?今日は、なぜ岐阜・愛知に地芝居が多い? 2年前の6月2日に、中日新聞サンデー版は、「全国地芝居マップ」がありました。 それが上の図です。 皆さん、どう思いますか? 明らかに、愛知・岐阜・長野の南部に多く固まっています。 全国各地で息づいている地芝居保存団体 は全国に約200あります。 中でも、最も多いのが岐阜の29。愛知も三河にたくさん残っています。 なぜでしょうか? 次のように説明されていました。 盛んな理由は、美濃には尾張藩領、飛騨は天領、三河は旗本領が多く、娯楽禁止の規制が緩やかだったことと、ヒノキや漆などの産地で経済的に余裕があったためとみられる 徳川宗春の経済振興政策は有名ですが、それ以外にも要素があったのです。 経済的な余裕も間違いありません。 興味深い内容です。 【校長日記】 色丹島訪問記 −22−夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。 穴澗初等中等学校を紹介していますが、今回は変更します。 今日はレストラン「インペリアル」 。 昨日、映画「ジョバンニの島」を見てきました。 その様子はお知らせしましたが、映画の最後に出てきたのが、私たちもお別れのパーティーをしたレストラン「インペリアル」です。(写真上) 8月3日、10時40分から11時40分までが、レストラン「インペリアル」での昼食でした。 見かけは、ご覧の通りの普通の家ですが・・・・。中は立派なレストラン。 そして、量が多い!前菜だけでもお腹がいっぱい。 その後はボルシチ、あとはいろいろ出てきました。 トイレはトルコ式 。(写真中) かつて、オスマントルコが支配した地域には、イスラムの習慣と共にしゃがむタイプのトイレが普及しました。 それで、トルコ式と呼ばれました。 フランスなど西ヨーロッパでも見かけますが、色丹島にまで普及しているとは・・・・。 8月4日(日)、15時45分から17時20分まで、ここレストラン「インペリアル」で夕食交流会が開催されました。(写真下) 訪問団と色丹島青少年によるゲーム交流、合唱など盛りだくさんでした。 色丹の人たちは、誕生日の人たちへのプレゼントを準備したり、歌の準備をしたりと、気配りを感じました。 また、映画でも見られましたが、みんなで踊って盛り上がる文化は、日本ではあまりないものです。 この文化の違いは興味深いところです。 終始、和やかな中で交流が行われました。 【校長日記】 映画「ジョバンニの島」を見てきました会場は、岩倉市総合体育文化センター。戦後70年、岩倉市平和祈念事業映画として上映されました。 今、この校長日記で連載している、北方領土・色丹島の物語です。 その時紹介しましたが、声優陣が、仲代達矢、市村正親、北島三郎、ユースケ・サンタマリア、柳原可奈子、仲間由紀恵、八千草薫、犬塚弘・・・。著名人のオンパレード。 原作は、「北の国から」の杉田成道。監督は「みゆき」の西久保瑞穂。メインテーマはさだまさし。 日本音楽事業者協会創立50周年記念作品として、どれほど力を入れているのかがわかります。 基本的に実話 。 すばらしかったです。 私自身、戦争に対する見方が変わった部分もありました。 これまで多くの戦争映画をみてきましたが、このようなアプローチをした映画は初めてです。 しかも、舞台は色丹島。 見ていて、「本当にあったのかな?」と思ったのですが、原作の杉田さんは、インタビューで次のように答えています。 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/gein... より 「ほぼ全て、史実通りと思っていただいて結構です。目を背けたくなるような戦争の悲惨さは数えきれませんけれど、小学校では日本とロシアの子どもたちが一緒に相撲を取ったり、互いの国の歌を歌い合ったり、海で遊んだりしていたのです。そうした交流も、強制退去までの3年間にはあったと聞きました」 映画中の、歌の交流は泣けてきます。 あまり書くとネタバレになりますのでやめておきます。 ただ、ソ連軍が家族ぐるみで来ているというのは、この映画の大きなポイントです。 しかも、映画の内容が正しければ、現地の人の母屋を接収し、ロシア風に改装しています。 日本軍が南方の島に家族ぐるみで侵攻しましたか? 事情は違いますが、以前沖縄で取材した時には、嘉手納基地では、ハウジングエリアと基地の中の学校を結ぶスクールバスの基地には50台以上のスクールバスが止まっていたのを思い出します。何世帯分でしょうか・・・。 また、基地外住宅は5000世帯以上あり、米兵住宅の家賃は日本人の住宅の3〜5倍。 (もちろん無税で、光熱費等も含めて、全て日本の思いやり予算ということでした。) 「家族」と「戦争」の日本と欧米との違いは、今の「仕事」と「家族」の違いに近いかもしれないと思いました。 エンドロールを見ていたら、特別協力の名に得能 宏さんの名前を見つけました。 色丹島を訪問した際に、得能家のお墓をお参りした事を思い出しました。 そして、最後には、私たちもパーティーをしたレストラン「インペリアル」が出てくるではありませんか! 実際に行った者にしかわからない、ディープな感傷に浸りました。 DVDも出ているそうです。 ぜひご覧ください。 【校長日記】 武功夜話セミナー&火縄銃演武武功夜話最終編として、多くの参加者がありました。 講師は、もちろん吉田蒼生雄さん。 まさに、これまでの総集編という内容のお話でした。 これまでのセミナーでも語られていましたが、あくまでも歴史は「勝者の歴史」であり、「武功夜話」は敗者の記録であるということです。 前野長安が秀次事件に連座し、また編者である前野家十六代吉田孫四郎の3人の娘がキリシタンであったことから、世に出ずに、家族のみが見ることにされてきたものです。 そのあたりのいきさつや、文書をこれからどうするのかを語っていただきました。 「文書や手紙などすべてを公開する」 「すべてを写真に撮り、ブルーレイに焼いて希望者に配る。それが文書をもっているものの責任」と語っておみえでした。 「最後は、元の土蔵に帰したい。」とも・・・。 「武田軍や上杉軍は農民主体なので田植えや稲刈りの時期には脱走兵が多数出るが、織田軍や豊臣軍は専門家なので強い。だから全国が統一できた。」などの話も、興味深く聴くことができました。 その後には、愛知県古銃研究会による、演武が行われました。 迫力の音です。 三段撃ちでは、20秒弱の間隔で撃っていましたが、実際にはもっと早く撃てそうでした。 【校長日記】 色丹島訪問記 −21−夏休み中を利用して、平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告をしています。 穴澗初等中等学校を紹介しています。 今日は図書館 です。 写真上は、教科書の部屋です。全て貸し出し、使用後は回収します。 オーストラリアの学校でも同様で、教科書は貸し出しでした。 世界的にはどうか・・・・ ここをご覧ください。 「諸外国における初等中等教育教科書無償制度の概要」 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901/__icsFiles/afieldfile/2014/07/01/1235098_01.pdf 写真中は図書館です。 カラフルな本が並んでいましたが、人気ナンバー1は何か?と訪ねられました。 正解は・・・ 週刊女性だそうです。(写真下) ロシアの印刷技術では、あのようなきれいな写真は見られないと説明してくれました。 学校における図書館の大切さは、国が違っても同じです。 穴澗初等中等学校でも、とても大切にしてると感じました。 【校長日記】 吹奏楽コンクール愛知県大会2日目の結果は・・・サマーフェスタのために1校だけ聴かないで学校に戻りましたが、結果は私の予想通りでした。 東海大会出場校の3校は・・・ 名古屋市立植田中学校でした。 春日井市立中部中学校 東郷町立東郷中学校 他も、ほぼ私の評価通りの結果でした。 詳しくは、http://www.ad.cyberhome.ne.jp/~tom819/aichiWEB.htmlをご覧ください。 写真中は小ホールです。ここで音出しをします。懐かしいですね・・・。 【校長日記】 名古屋をとりまく歴史街道もう一つ、負けず劣らずすごいサイトを紹介します。 名古屋をとりまく歴史街道というサイトで、 Network2010のシリーズの一つです。 ここから http://network2010.org/kaido/ 名古屋を取り巻く数々の街道を、動画と説明、地図、写真を織り交ぜて詳しく紹介しています。 これを見ながら歩けば、地域の歴史に詳しくなること間違いなし! 写真は岩倉街道(柳街道)のページです。 ぜひご覧ください。 【校長日記】 色丹島訪問記 −20−色丹島に2校しかないうちの一つ、穴澗初等中等学校を紹介しています。 今日はコンピュータ室 。 色丹島では、ネット環境がとても大切です。 本土との情報はネットがなければやっていけませんが、多くの住民がネット環境は悪いといっていました。 「悪い」の基準がよくわかりませんでしたが・・・・。 パソコンは残念ながらASUS、台湾製です。 コンセントの形状はごらんの通り。 まだまだ続きます。 【校長日記】 吹奏楽コンクール愛知県大会の結果は・・・私も、審査員席で、自分でも評価をしながら、すべての演奏を聴きました。 結果は、1,2位は予想通り。全体でも、ほぼ審査結果通りでした。 東海大会出場校の3校は・・・ 碧南市立東中学校 日進市立日進北中学校 豊田市立若園中学校 その他の金賞校は・・・ 東郷町立諸和中学校 岡崎市立甲山中学校 春日井市立味美中学校でした。 私が特に印象に残ったのは、最優秀だった碧南市立東中学校。 ラヴェルの「マ・メール・ロワ」を、絶妙のアンサンブルで演奏しました。 個々の技量も高く、パーカッションのバランスもOKでした。 ただ、審査員席の2階では、低音が届かず、シンフォニックな響きが乏しく聞こえました。 1階の人に聞くと、逆に丸ごと聞こえたそうです。 場所は難しい・・・・。 もう一つ印象に残ったのは、 東郷町立諸輪中学校。 何とたったの12人。 ある子はトランペットとピッコロを、ある子はホルンとトロンボーンを、ある子はドラムとアルトサックス・テナーサックス、ある子は鍵盤打楽器とクラリネットを兼ね、しかも上手なのです。 驚きの金賞です。 全体の印象は、審査員席には低音が届きにくいようです。 逆に、高音はよく届きます。 タンバリン、スネア、ピッコロなど、節度が必要です。 スネアとティンパニが並んで演奏していても、スネアばかり目立ちます。 同様に、トランペットとトロンボーンがユニゾンで吹いても、トランペットが目立ちすぎます。 明日から演奏するバンドは、要注意ですね。 会場の外では記念写真。午後は、かなり強い雨が降りました。 【校長日記】 吹奏楽コンクール愛知県大会の会場は・・・その会場、豊田市民文化会館 は、もう30年以上前から県大会の会場になっている、吹奏楽の人間にとっては聖地です。 今日は、朝からその準備に追われました。 もと布袋中学校吹奏楽部で、県大会に出場した保護者の皆さん、覚えていますか? 【校長日記】 街道を歩こうかつて、夏休みの自由研究で、上街道(木曾街道)を歩いてレポートを書いた生徒がいました。 単に本で調べるのではなく、自分の足で歩き、自分の目で確かめるすばらしい研究です。 ただし、そのためには下調べが必要です。 ルートはどのように調べればよいのでしょうか? たとえば、上街道(木曾街道)は、江戸時代に尾張藩が独自に作った街道で、名古屋城下の東片端(東区)から中山道の伏見宿(現在の岐阜県可児郡御嵩町)までを結んでいました。楽田までは、稲置街道と同じ道です。 このような街道のルートを、Google Maps や ALPSLAB route で見ることができるすごいサイトです。 ちまき亭さんが運営している「街道を歩こう」 の中の「名古屋近郊の旧街道のルート」 です。 ここから http://www.h2.dion.ne.jp/~chimaki/ct/road/index.htm 次の街道など、20のルートが載っています。Google Mapsでは、もちろん衛星写真を見ることもできます。 中山道(上街道)(恵那市・大井宿→垂水町・垂水宿) 下街道(名古屋市・札の辻→恵那市・大井宿) 定光寺街道(殿様街道)(名古屋市・東片端→恵那市・大井宿) 瀬戸街道(中馬街道)(名古屋市・大曽根→恵那市・大井宿) 上街道(木曽街道)(名古屋市・東片端→可児市・太田の渡) 稲置街道(犬山街道)(名古屋市・東片端→各務ケ原市・鵜沼宿) 犬山街道(犬山市・犬山城→可児市・太田の渡) 岩倉街道(名古屋市・札の辻→犬山市・犬山城) 御鮨街道(岐阜街道)(岐阜市・金華→名古屋市・宮宿) 美濃街道(名古屋市・宮宿→垂井町・垂井宿) 岡崎街道(新街道)(名古屋市・札の辻→岡崎市・岡崎宿) 伊奈街道(飯田街道)(名古屋市・札の辻→飯田市・飯田宿) 津島街道(名古屋市・宮宿→津島市・津島神社) 佐屋街道(三里の渡)(名古屋市・宮宿→愛西市・佐屋宿→桑名市・桑名宿) 東海道(七里の渡)(岡崎市・岡崎宿→名古屋市・宮宿→桑名市・桑名宿) 写真下は、布袋小学校区内を通っている岩倉街道(柳街道)を表示したものです。 まずは、布袋小学校区内の岩倉街道を歩いてみましょう! 【校長日記】 色丹島訪問記 −19−色丹島・穴澗初等中等学校を紹介しています。 穴澗初等中等学校は、基本的に教科教室。低学年以外は、児童生徒が先生の教科の部屋へ移動します。いわば、教科センター方式です。 今日は、技術科室、家庭科室を紹介します。 旋盤など、いろいろな機器が並んでいます。日本の中学校レベルではなく、工業高校レベルでしょうか。 写真下が家庭科室です。ミシンがありました。 1学年は10人程度なので、内容の濃い少人数指導が行われているような気がしました。 【校長日記】 色丹島訪問記 −18−穴澗初等中等学校を紹介しています。 今日は体育館を紹介します。 広さは、バスケのコート1面分を一回り大きくしたぐらいです。 バレーボールの高いネットが張ってありました。(写真上) 高いサーブは天井に当たってしまうかもしれません。 きれいに見えますが、床はすき間があります。(写真中) 日本では考えられませんね。 更衣室もありました。 体育倉庫には、平行棒や鞍馬がありました。吊り輪もあり、さすがにロシアの学校です。(写真下) かつて、体操は、日本とソ連が競っていました。 今のロシアの学校でも、体操器具がそろっているのですね。 驚きました。 続きます。 【校長日記】 名古屋の街にはなぜ墓地がない?今回も、かつて、おもしろ学校で行った授業のネタです。 先日、名古屋にはお寺が多いと紹介しました。 写真上の右上部をご覧ください。 東京タワーに上ると、プリンスホテルの手前に墓地が目に入ります。 ここでは見えませんが、右下には増上寺の墓地があります。 東京では、いろいろなところに墓地があります。 しかし、名古屋のテレビ塔に上っても墓地を捜すことはできません。 なぜでしょう? 戦後、佐藤正俊名古屋市長に戦災復興の一大事業を任され、後に助役になったのが田淵寿郎 です。 彼の発想、先読みの力は、今考えても驚異的です。 空襲で焼け野原になった名古屋の街を見て彼が考えたことは…。 彼は2本の100m道路を構想しました。 (滑走路でも造るのかとからかわれました。) さらに、南北の久屋大通の地下には将来のモータリゼーションに備えて駐車場を、 東西の若宮大通の地下には大雨に備えて雨水貯留槽をつくり、新堀川に流れるようにしました。 写真中の上部が東西に延びる若宮大通り。中央が掘留下水処理場、そこから南に新堀川が流れ出ています。 9本の50m道路は将来の地下鉄に備えました。 鉄道はすべて高架にし、踏切をなくしました。 道路には街路樹を植えました。 (街路樹を植えた元祖は信長といわれています。江南市には、信長が植えた柳街道があります。) 緊急時の避難用に学校に公園を併設しました。 極めつけとして、市内各所に有った279の墓所をまとめて一カ所に集中させる平和公園を作りました。(写真下) これらは、当時は猛反発に遭ったそうですが、粘り強く寺や地主を説得しました。 これらの理由から、名古屋市中心部付近には墓地がないのです。 全市の20%を超える土地を道路・公園用地にするという発想は、その後の都市計画に大きな影響を与えました。 その後も、鉄道立体化、名古屋港湾整備などを進めた後、引退した彼は何をしたでしょうか? 無理に移転させた墓の霊を弔うために、墓守をしたのです。 現在も平和公園に眠っています。 大きな人物です。 画像は、Google Map から引用しました。 【校長日記】 色丹島訪問記 −17−8月いっぱいで終われるようがんばります。 今日からしばらくは、穴澗初等中等学校 を視察した時の様子を紹介します。 穴澗村は人口1000人ちょっと。 この穴澗初等中等学校は、1年生から11年生までが通う、小中高一貫の学校で、約110名の児童生徒が学んでいます。 小学校4年、中学校5年、高校2年です。 高校だけは、サハリンなどの学校に通う生徒も一部いるそうです。 ここで、ロシアの教育制度 について、簡単に触れておきます。 ソ連が解体した翌年、1992年からは4・5・2・5制の新しい教育制度が導入されました。 ソビエト時代の教育制度では、国の方針で、職業訓練を重視した授業が行われていました。 しかし、新しい制度では、それまでなかった私立の学校も少しずつ増え、教養を身につけるための多様な授業を受けることができるようになっています。 義務教育は最初の9年間(初等学校+基礎学校)ですが、その後の2年間を含めた11年間を一貫教育で行うケースが多いのがロシアの特徴です。この穴澗初等中等学校もその一つです。 義務教育を修了した生徒は、一般に大学進学を目指す高校に進むコースと、専門学校に進むコースを選びます。 高校を卒業した生徒の大学進学率は80%を超え、大学生の数も増えています。 ただ、この穴澗初等中等学校の卒業生は、100%大学に進学します。 大学は色丹島にはなく、全員がサハリンや大陸へ行くことになります。 数年前には、日本のお茶の水女子大学へ進学した生徒もいました。 それでは、穴澗初等中等学校の中に入ってみましょう。 今回案内をしていただいた、オレイニコワ教頭先生(写真中)です。 聞き間違いかもしれませんが、「この学校に50年勤めている」と聞こえましたが??? たぶん聞き間違いです。 ロシアには、人事異動はありません。 一度赴任した学校に、最後まで勤めます。 奥の個室はなんでしょう??? お仕置き部屋? いいえ、更衣室でした。 続きます。 【校長日記】 アンネの日記真贋論争
夏休み中は、社会科に関係のある雑学を紹介しています。
昨日は、アソシアおもしろ学校の授業を紹介しました。 昨年私がした授業が、アンネの日記はなぜ破られた? という授業です。 世界に広がる、反ユダヤ主義、民族主義の兆候にメスを入れました。 そこでもふれましたが、アンネの日記は偽書と言う人がいます。 ネット上にも、例えば・・ アンネ・フランクは、アンネの日記を書かなかった。(写真上) ここから http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/afrank.htm 第2次世界大戦の真実4 アンネの日記の真相 (写真下) ここから http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/3609311.html 友達に宛てた手紙の文字と、「アンネの日記」の筆跡があまりにも違うからです。 裁判では、「偽書ではない」と結審していますが・・・。 あなたはどう思いますか? 【校長日記】 色丹島訪問記 −16−このペースでは、8月いっぱいで終わるかどうか心配になってきました。 文化会館の前には、ひときわ目を引く建設中の建物がありました。これは病院です。(写真上) 前に看板がありました。(写真中) セディフ穴澗村長によれば、比喩かもしれませんが、「韓国が資本を出し、現場監督は中国人で、労働者は北朝鮮の人」と言っていました。 私は直接見ていませんが、同行した日経ビジネスの鵜飼秀徳記者が記事に載せています。 それが、写真下です。北朝鮮人と思わせる労働者の写真を撮っています。 引用元 http://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/443e1abac50... これが、今の北方四島の経済状況を表す象徴的な写真です。 工事がなかなか進まないと言っていましたが、その工事でさえも、サビを落とさないでそのままペンキを塗るようなレベルの作業です。 日本の企業が入るなら、もっと丁寧に、もっと早く造ってしまうでしょう。 昨年の訪問団の報告のなかにも、「早く日本の管轄になって大胆な開発を進めてほしい」という国後島の住民の声がありました。 2013年4月29日、ロシアを公式訪問中の安倍晋三首相は、クレムリンでプーチン大統領と会談し、停滞している北方領土交渉の再開を盛り込んだ共同声明を発表しました。 「第2次世界大戦後67年を経て日ロ平和条約が締結されていない状態は異常であるという認識で一致」と明記しました。 しかし、ウクライナ情勢により、中断しています。 日本は、ロシアの液化天然ガス(LNG)の輸入拡大を期待しています。ロシアも、欧州向けガス輸出が低迷するなか、アジアへの供給を増やしたい思惑があります。 その他、エネルギーや農業、医療技術・機器、インフラ整備などの幅広い分野で、ロシアの資源と日本の技術を活用し、共に利益を得られるような官民共同の事業を推進したいのです。 それが、領土問題の関係で、特に四島内では進まずに、韓国などの第3国が入り込んでいるのです。 2015年6月20日「プーチン大統領、安倍首相との会談に意欲 北方領土巡り」というタス通信の記事を朝日新聞が伝えています。 島民のためにも、日本のためにも、前進があることを期待します。 |
江南市立布袋小学校
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