最新更新日:2024/06/26
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日中は汗をかくようになってきました。水分をこまめにとりながら、学習や運動にしっかりととりくみましょう。

今日の給食は・・・特集は「海苔」

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今日の給食を紹介します。
手巻きご飯(細焼き玉子、手巻き海苔)、ジャガイモのうま煮、ツナそぼろ、ご飯、牛乳

センターからのメッセージは・・・
手巻きご飯は、簡単に食べられる海苔巻きとして昭和の終わり頃から食べられています。今日は、海苔にご飯や玉子、ツナそぼろを載せ、手巻きご飯にして食べましょう。

今日の特集は、海苔です。

「手巻きご飯は昭和の終わり頃・・・」

かつては寿司屋は高級なイメージでしたが、昭和の終わり頃、大衆的なお寿司屋さんが出始めた頃から、手巻き寿司もそのメニューに入ってきました。
その頃から、家庭でも普及し始めたのかもしれません。

ただ、海苔そのものの歴史は古く、中学校の教科書にも出てくる最古の律令の法律書『大宝律令』(701年)には、朝廷への年貢として海草類があげられており、そのなかでも海苔は高級品でした。

平安中期の法典『延喜式』(927年)によると、租税対象に海苔が定められており、貴重品であったことがわかります。

普及に貢献したのは徳川家康で、家康が江戸入りした頃の浅草寺門前で獲れたアサクサノリを和紙の技法で板海苔としたものを『浅草海苔』と呼ぶようになりました。
当時は焼かずにいましが、その後に焼き海苔として使用するようになったのです。
江戸時代中期になると、品川や大森を中心とする東京湾でのりの養殖が始まりました。
幕府は献上されたのりを市場で売り、財源としたため、のりは江戸の特産品として庶民にも親しまれるようになりました。さまざまな具を入れてごはんを巻く「のり巻き」が庶民の間で大流行し、屋台ずしと呼ばれる店も登場。江戸っ子たちは、手軽な食べ物としてのり巻きを食べていたようです。

しかし、本格的な海苔の養殖は、イギリスのドゥルー女史がのりの糸状体を発見したのは昭和24年(1949年)からです。
それまで不明だった海苔のライフサイクルが解明されて海苔養殖の技術は革新的な発達をしました。それにより年々生産量が増加し安定した生産ができるようになりました。

海苔は、日本食にはなくてはならない食材ですね。

出典は 手巻き寿司を食べよう https://www.temakizushi.com/info04.html です。
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