最新更新日:2024/06/27 | |
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「なる」と「する」ピンチのときどう向き合えばよいか。 まずは、「なんとかなると」思うこと。 次に、動くか、動かないか判断する。 動くときは、「なんとかする」と思って行動する。 最善手がどうかはわからないが、打診の手をうつ。 そうすると、次の手が見える。 昨日日曜日、自宅のインターネットがつながらなくなった。固定電話もつながらない。 ソフトバンクに電話をして対応してもらう。 機器の状況を報告して、結局、NTTの基の機器の故障かもということになり、本日の月曜日に配達してもらった。 そこで、配線しなおし、あれこれとやると、つながった。 無事に解決した。 このトラブルでは、電話で問い合わせることで事態の打開が進んだ。機械の故障なんてびっくり。 こんなこともあるのかと思った。 この件では、動かないといけなかったが、別のトラブルでは動かない方がうまくいくこともある。そこの判断も大事なのだ。 一日の積み重ねなぜだかわからないが、目の前の仕事をしていく。 目の前の仕事をこなしていくと、実績が生まれる。 一年後または数年後になって振り返ると、初めて「ああ、自分はこんな道を歩んできたんだ」「「この道に導かれていたのだ」と気づく。 よって、目の前の仕事で嫌なことでなければ地道にやり続けていけばよい。 答えはそのうち分かる。 30日 よかったこと1. 知立神社にお参りできたこと。花しょうぶがきれいに咲いていた。 2. 買い物に行き、にんじんの大袋が100円だったこと。 3. 6年生の教材研究の動画を撮影できたこと。 制限の中で現在、行動制限が続いている。 だから、気分が落ち込むのか、 とはいうものの、気分が晴れることを探そう というのでは大違い。 できれば後者の方がいいよね。 タブレットタブレットのソフトについて、ある教育委員会の指導主事と意見を交換した。 タブレットが思考の表現や交流の道具として、使うのが考えられる。 それだと、これまでのテレビや小黒板とどう違うのか。 思考させるためにどう使うのか。ここが問題なのだ。 ずうっとちょっといいことが続くと、この先ずうっと続くと楽観する。 ところが、ちょっと悪いことが続くと、ああ絶望だと悲観する。 楽観と悲観の連続の中で生きている。 大きな流れで人生を振り返ると、全体的にはいい方向に動いている。 そんなに一喜一憂することはないのだ。 どんなときにもこつこつとやっていくだけだ。 知人の質問夕方、知人から電話があった。 授業力アップわくわくクラブの会員でもある。 算数の質問なので即座に答えた。 今年から会員には質問を受け付けている。電話、メール、ズームすべてオーケーである。 これまでいろんな経験をさせていただいたおかげである。 ついでにユニバーサルデザインの話題となった。HPの過去の記事を思い出したという。 ありがたいことだ。 プロのわざ整体に行った。 少しの施術だけでかなりよくなった。 プロはすごい。 25日 よかったことハンドリング、静粛性、エンジンに上質感があるなあ。 2. 6月の算数の教材研究動画「3年 一万をこえる数」を撮影できたこと。 3.お水の宅配をしてもらっているが、宅配がうまく届いたこと。間一髪で入れ違いになるところだった。 4.夕食のおいしかったこと。上の写真の右の部分はエノキの根の部分である。この部分を甘辛く焼くとうまい。 特に3番。幸せの定義は、「運のよいこと」なんだよね。 この記事らは運のおすそ分け。 24日 よかったこと1.病院の定期検査の数値がよくなっていたこと 2.ランチで生パスタを食べておいしかったこと 3.ペットボトルのふたが洗面所の口に落ちた。これをゼムピンで救出できたこと 4.6月第1週の特別支援教育の指導のポイント動画の編集ができたこと。 わかると楽しい授業がわかると楽しい。 楽しくてもわかるとは限らない。 では、わかるとは何か。 算数数学では、本時の課題の適用・応用問題が解けることである。 体育ではその日の技能ができることである。例えば、前転が目標ならば前転ができることである。 このように、「わかる」とは「できる」ことである。 「できた」実感が楽しいに結び付く。 5分間見ればプロが授業を見れば、5分間でその教師の力がわかる。 部分には全体を映し、全体は部分から構成される。 生徒に対する教師の瞬間的な反応にその教師のすべてが現れる。 時期尚早聞いてくださいと電話があった。 その方のお孫さんの話である。 小学校1年生になるお孫さんが、4月に連絡帳に書かせているということです。 この事実を変だと思う人は1年生の国語の指導がわかっている人である。 ひらがなを書けるようになるまでは2ケ月くらい要する。 なのに、連絡帳に書かせている。 どうなってんの。 1年生に鉛筆の持ち方、筆の運び方を訓練するのに結構な時間がかかる。 数字でも鏡文字を書く子どももいる。 黒板の文字を見て視写させるのはまだ早い。 お手本の文字が手元にあって、それを視写させることから始まる。 その連絡帳に教師の訂正の朱書きがいっぱい入っているという。 確認したことはよいが、赤ペンの朱書きばかりでは写すのが嫌になる。 指導の根本は一歩ずつほめながらできるようにさせることである。 ゆっくり着実にできるまで指導していこう。 教師の所作授業のスタート。 起立、気をつけ、礼。 この当たり前の教師と生徒の所作に異変があると、授業が崩れていく。 ある生徒が礼をしなかった。または、礼がいい加減だった。 こんなとき、教師のあなたはどうするのか。 1.もう一度やり直させる。 2.時間の無駄だから、見てみない振りをする。 3.また、あの子だからと思って放置する。 4.何か具合の悪いことでもあったのかと気遣う。 まだ他にもあるだろう。 いずれにしても1から4までの教師の反応によって生徒は大きく異なる。 みなさんの答えを考えてほしい。 5月症候5月になると、不登校が起き始める。 それは、なぜか、 学校が面白くないからである。 その最大の原因は、授業が楽しくないからである。 なぜ楽しくないのか。 授業が分からないからである。苦痛なのだ。 4月に登校したのは、新年度が始まり今年はわかるかもしれないと 期待した。 でも、わからない。今年もだめなのかとあきらめていく。 ここから挽回するのはかなり難しい。 ノートが真っ白な児童・生徒。 ノートに授業で分かった内容を書かせたい。 どの子もわかる授業、どの子もできるような授業を創っていこう。 それが教師としての責務である。 「ずれ」があるとコミニュケーションを図りたくても根本の認識が異なると、議論は平行線。 どこまでいっても交わらない。 どちらも正しいという規範があり、それが正反対だとどうしようもない。 擦り合わせる以前の問題である。 授業の最終目標は授業は一斉授業という形態で集団を率いながら、最終的な目標は個の学びの変容である。 どの子もわかる・できることが大事である。 集団でなんとはなしに45分間、50分間終わったとしてもすべての子どもがわかった、できたということを保証することなんだ。 集団知ズームで何回か会議をした。 そこでは、数人が意見を出し合う。 ときおり問題が出る。難問題もある。 そんなときの解決は、3つである。 1.新たな改革案が出てすっきりする。 いろんな問題点が統合されて解決される。まさに、対話的で深い学びの状態である。 2.少しの改善案が出て妥協する。 3.どうしてもクリアできないので現状維持となる。 つまり、修正する方が悪くなることがあるからである。 いずれにしても集団でもみ合ったから解決できたのである。 たとえ現状維持だとしても奥深い解決の結果である。 集団知というのは素晴らしいことがある。 「入り」と「出す」知識を知る。言い換えると、情報を脳に入力する。 脳は、あれこれ考えだす。これは正しいか。正しいとすればどんな活用ができるのか。 正しくないとすると、その根拠も考える。 さて、正しいかどうか不明なときはどうするか。 それは、試すしかない。 つまり、実行するのである。別の言葉で言えば、行動するのである。 情報の成否の確認のために「出す」のである。 そして、結果が出る。 そこで、初めて、成否が見える。 そして、さらに良くするために思考し判断して出す。 常に「入り」と「出す」の繰り返しである。 授業力のアップはこの「入り」と「出す」の繰り返しでこそ伸びていく。 単なる自動的な流れで授業していてもうまくはならない。 まさに、主体的に学び、脳と対話して、深い学びへと進めていこう。 一人の力時代の変化について言うと、一人の力が大きくなってきたことである。 これまで組織や社会を変えることはなかなかできなかった。 ところが、ネットやSNSの普及で一人の影響力が大きくなってきた。 ネットは、市町村を越えて国境も越えている。 何だか不思議な時代になってきた。 ここで、大事なことは空気に流されないことである。それは、客観的なデータに基づき思考・判断することである。 一人の力を生かすためにも多様性を尊重する社会にしたいものである。 |
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