最新更新日:2024/06/27 | |
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私のやり方がある授業診断でアドバイスすると、「私のやり方がある」という人がある。 これがそもそも間違いである。 「私のやり方」で成功しているのならば、アドバイスなんかしない。 成功していない、つまりうまく行っていないからアドバイスしている。 こういう返事をする人は、結局、変えたくないのである。 ならば、はじめから診断を受けるなといいたい。 時間の無駄である。 笑顔笑顔になるためには、努力がいる。 なぜかって、笑顔にならないような状況もくるからである。 それでも、笑顔でいよう。 完璧主義完璧主義で切れ者は、始末に負えない。 不完璧主義で、どこかに鈍さを持ち合わせている人は、生きる力があり、包容力もある。 不完璧だから、人を許せる。 人も許せるし、自分も許せる。 許せるから、アクセルをふかすときには蒸かせる。 許せないと、ガチガチに固まって身動きがとれない。 ただし、不完璧とちゃらんぽらんにしてよいということは違う。 ここは間違えないように。 船井幸雄氏に感謝昨夜、ヤフーを開いた。 過去の記事という文字が気にかかった。 だから、クリックした。 すると、船井幸雄氏が亡くなったという記事が飛び込んできた。 めったに、過去の記事など見ないのであるが、クリックした。 きっと船井先生が教えてくれたんだと思う。 40歳のときから(勝手に)師と仰ぎ、学んできた。 ご縁があって、会長室で2度お会いすることができた。 いろんなご示唆をいただいた。 今の私の人間観・社会観の基になっている。 ご冥福をお祈りしたい。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140121-0000... まずは疑問をもたずに教える人と教えてもらう人がいる。 そのとき、教えてもらう限りは、その処方箋を試してみることである。 教える人は自信をもって教えている。 他の地区や他の人に効果があったから教えている。 なのに、「その方法をやるのですが、効果が上がりません。」 こういう質問をすること自体が本当に教わる気持ちがあるのかと疑う。 つまり、メンツをつぶしている。 もっと、その処方箋を真剣に学び、つまり、本も読み、講習にもでて、自ら習得してほしい。 処方箋を信じないのだったら、他の医者に行きなさいということになる。 授業を変える3つのポイント○付け法(1)と意味付け復唱法(2、3)で授業は確実に変わる。 子ども主体へと変化していく。 1.自力解決のときに○をつける。 2.練り上げのときに、子どものよい発言を板書する。 3.子どものよい発言を広め、深める。 たったこの3つをするだけで変わる。 学び合いといいながら、子どものよい発言が板書されない授業は、第一歩目から学び合いになっていない。 良い発言が、友達のノートに残されるようになると、まさにお宝である。 日本教育新聞に掲載(2014.1.13)今回、その第一弾。 今後、お二人の先生の実践報告が掲載されます。 記事はこちら ↓ 日本教育新聞のインタビューを受け、志水メソッドを3回にわたって紹介されます。 今回、その第一弾。 今後、お二人の先生の実践報告が掲載されます。 記事はこちら ↓ http://www.schoolweb.ne.jp/weblog/files/2370003... 態度変容があってこそ授業を見ていて、教師のこだわりはわかる。 このこだわりは子どもをよくしたいという願いから生まれる。 ところが、実際には、教師のこだわりが子どもに理解されていない、定着していない。 つまり、態度変容が見られないのことがある。 これでは、何のことはない。 教師のひとりよがりのこだわりである。 口すっぱく言うのだったら、それを子どもに身につけさせたいし、少しでも使おうとしていたらほめたい。または、使わないのなら、使うべきだと説得したい。 そこまでしてこそ、「愛」のあるこだわりである。 精一杯若い教師の授業を参観した。 自信のない精一杯の教師の声に、子どもが応えていた。 ここに「愛」がある。 きっと普段からの子どもとのコミュニケーションが良いのだろう。 終わらない仕事が終わらない。 うーむ・・・。 だから、人生は終わらない。 これっていいことかも。 いや、いいことだ。 変曲点人生にも組織にも、ある瞬間を過ぎたら大きく変化したという時期がある。 これを変曲点という。 この変曲点は、行動が変化したということである。 しかし、よく観察してみると、その前に「心」が変化したからこそ、行動が変化したのである。 だから、リーダーは、行動の変化を起こさせるためには、「心」が揺さぶられること、ここに力を濯ぐことである。 「心」が動けば、後は、オートマチックに動き出す。 うなずき授業中の教師のうなずきが、子どもの考えが認め、やる気を起こす。 反対では、やる気は起きない。 やる気とは、他者からの肯定感で促進される。 だまってうなずくのもよし。 「なるほどね」といいながらうなずくのもよし。 このうなずきは、子どもの考えの全面肯定の中から生まれる。 助けられているこれまでの人生を振り返ると、ピンチはやってくる。 困ったなあ・・・。 でも、困ったことは最悪の所まではいかない。 誰かの助けで乗り切ることができる。 こうやって誰かの助けがあって生きている。 ここを自覚したい。 「お陰様」というのはこのことを表している。 写真 青森駅で 出会い私の人生。 たくさんの人の出会いがある。 それも面白い人が多い。 どういう意味で面白いか?って。 ・・・ 基礎・基本と多様な考え昨日、数学教育の会があった。優秀な数学の先生の集まりである。 たまたま高等学校の元校長先生で数学の教師と隣り合わせとなった。 質問してみた。 志水「今でも数学の問題は解かれるのですか?」 Aさん「はい、ぼけないように入試問題を解きます」 志水「別解もありますよね」 Aさん「生徒は、いろいろな考えを出すと混乱してしまい、力がつきません。多様な考えを教師は取り上げるのですが、それが理解できるのは、全体の2割です。その他の生徒は1つのやり方をきちんとマスターさせます。すると、応用力もつきます」と。 この発言を聴いて我が意を得たりと思った。 高等学校というのはある水準の集団である。にもかかわらず、多様な考えを紹介すると、こんがらがってしまうのだと。 まして、小学校・中学校になると、かなりの学力差がある世界である。 だから、多様な考えがよかれと思って、そういう発表ばかりしていると、情報が多すぎて低い児童・生徒は分からなくなってしまう。 つまり、多様な発表の内容に追いつけないのである。 だから、私は、どの子にも分かる・できることを保証するには、その教材で一番大切な考えについて取り上げ、それを徹底的にマスターさせることだと考えている。コアとオプションという教材の見方をすると、コアをきちんと理解・習得させるのである。 その上で、余裕のある児童・生徒にはオプションを与えるのが望ましい。 すぱっと2割だと断言されたところに、元ベテラン教師の重みがあった。 教育とは教育とは、教える者と教わる者との「魂」のぶつかり合いである。 ぶつかって摩擦が起きるから、熱が生まれる。 変えようとする力が生まれる。 摩擦がなければ、摩擦係数がゼロであるからすべるだけである。 摩擦の中から、何が変わったのか。 「心」が変わり、「知」が変わる。その後、「態度」も変わる。 変わるのは、子どもだけではない。 教師(親)も変わる。 教師(親)と子どもの変容があってこそ、教育である。 運が悪くなるこつ運がよくなるためには、運の良い人と徹底的につきあうことである。 私は、恩師の三輪辰郎教授とは、ゼミではかなり勉強した。大阪教育大学を卒業してからも2ヶ月に1回は1時間30分かけて恩師に会いに行った。 また、大学院の恩師の佐々木元太郎教授とは、大学院時代、研究室ではもちろんお話を聴き、その上自宅まで訪問してお話を伺った。佐々木先生は高齢で足が悪く、宿舎まで送った。そのついでに話をうかがったのだ。先生の期待以上に院生のとりまとめをした。裏方もこなした。例えば、大学院は誕生したばかりで書物が全くない。教科書もない。だから、ある教科書会社に交渉して、過去の教科書を借りてコピーさせてもらった。自分の研究資料としてはもう必要ないのに、後輩のために動いた。 なぜか、雑用も含めて、それらのことは楽しかった。先生の話を聞くことができること、それ自体がわくわくしてとても新鮮であった。 だからお二人には可愛がっていただけた。 それらが結果として、現在の地位につくことができた。学生時代に今の地位など想像もできなかった。でも、結果的に運を引き寄せたことになる。 では、運が悪くなるこつを言おう。 運の良い人のもとで、たいしたことないなと判断されると、そこでお終いである。 だから、容易に運の良い人とつきあうと大けがをすることもある。 運の良い人の評価は影響力をもつ。 覚悟を決めて運の良い人とつきあうことである。 事実の重み事実は、人を説得する。 理屈は通っていても、いざ授業となると、うまくいかないことがある。 事実が異なることはしばしばある。 そんな場合、人は理屈よりも事実を信用する。 それだけ事実の重みが大きい。 教育の理論というのは、多くの事実から生まれる帰納的な推論で生まれる。 理論が先行して事実が生まれるのではない。 その理論が正しいのかどうかは、目の前の事実に照らし合わせて検証したい。 初仕事さあ、今日から初仕事。 青森へ飛ぶ。 元気に講演をする。 大晦日に先のメールのほか、もう一件、大晦日に情報が飛び込んできた。 息子が帰ってきた。すると、名古屋のクラブで女性のDJに会ったという。海外に住んでいるという。その女性は以前、東京に住んでいたという。そして、なんと東京の板橋区であった。私も板橋区だった。さらに常盤台だという。どんどん話が進んで、筑波大学附属小学校にいたという。それがまた、担任は志水廣だったと。 へぇー、びっくりした。写真屋のFさんであった。小柄で可愛い子どもだった。記憶はしっかりとある。ご縁とは不思議なものである。 |
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