最新更新日:2023/05/20 | |
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陸上記録会全員が全力で競技に挑み,今まで練習してきた成果を発揮することができたと思います。 OHK杯 第21回坂出市・小中学生カヌー選手権大会
府中小学校の4・5・6年生が10月12日(日)にOHK杯坂出市・小中学生カヌー選手権大会に出場しました。数ヶ月前にはじめてカヌーに乗り,練習を始めた子どもたち。放課後や休みの日にも熱心に練習を重ねました。本番では,一人ひとりが懸命に漕ぎ進み,力を出しきりました。試合後の子どもたちの表情から大きな成長を感じました。
科学体験発表水のフェスティバルに参加しました(5年)
5年生からは3つのチームがドラゴンカヌー大会に挑戦しました。初めて漕ぐ子も,友だちと息を合わせて頑張っていました。合間には竹細工づくりやガラス工作に参加させてもらい楽しく過ごしました。
水のフェスティバルへの参加について
初めて,水のフェスティバルに参加させていただくことになりました。子どもたちの演技にご声援をよろしくお願いいたします。
幼稚園・保育所のみんなが来たよ
9月29日(火)小学校に幼稚園と保育所の年長さんを迎えて,第1回の交流会をしました。いつもは小学校の一番下のかわいい弟,妹の1年生ですが,この日はみんなお兄さんお姉さんの顔になって張り切っていました。手作りの名札をプレゼントしたり,ペアになってボール運びのゲームをしたり,音楽に合わせてジェンカジャンケンをしたりしました。はじめは緊張していた年長さんでしたが,だんだんと笑顔になり,1年生もとても嬉しそうでした。
お年寄りの方との交流会パート3(石井)お年寄りの方との交流会パート2(迯田)お年寄りとの交流会パート1(新宮地区)野菜作り名人に学ぶ2年生また、一人ひとりにブロッコリーの苗をくださいました。さっそく次の日は、しあわせクラブの方に教えていただきながら真剣に苗を植えました。収穫が楽しみです。 「夢はでっかく 根はふかく」校長 富永雅明 えんぴつは 知っているのに だまってる 氏家 颯汰 えんぴつで わたしが描く 夢の国 安野 那奈子 えんぴつで 文字かき 絵かき 夢をかき 来田 峻 これは2015年全日本川柳大会で90倍の難関を突破して佳句に選ばれた本校の子どもたちの作品です。他に応募した当時6年生だった中井環さんの作品と合わせて4名が入選するという快挙を達成しました。本校は,全国でも珍しい川柳クラブがあり,外部講師の河合美絵子さんと橋本公子さんに川柳のおもしろさと日本語の深さを教えていただいています。入賞した作品は,実に子どもらしく,独創性があり,夢が溢れ,読む人にさまざまな情景を想像させてくれます。 「夢はでっかく 根はふかく」というのは,栃木県足利市出身の詩人であり,書家でもある相田みつをさん(1924〜1991年)の言葉です。 『根』とは? 相田みつをさんの詩に「いのちの根」というのがあります。「いのちの根がふかくなる」のは,悲しみ,苦しみ,怒り,屈辱にじっとたえるときであると言っています。そして,大きな夢をもつためには,根が深くならなければいけない。根がふかくなればなるほど,夢もまた大きくなるというのです。 子どもたちが鉛筆で描く『夢の国』とはどんな世界なのでしょうか?どんな未来予想図を描いているのでしょうか? いつも身近にある鉛筆は,努力したことも力を抜いてしまったことも,それが結果に反映したことも知っているのに黙っています。時には「がまんするんだよ そうすれば・・・」なんて言ってほしいこともありますが,最後は自分次第ということなのでしょう。子どもたちが夢を描き,努力を積み重ねることで根を深くし,夢の実現に向けて生きていこうとする教育を目指したいと思います。 9月の全校朝礼続いて表彰がありました。今回は,剣道,川柳,バレエでした。表彰されたみなさんおめでとうございました。 校長先生からは,「夢に向かって挑戦(チャレンジ)」についてのお話がありました。2学期からも夢をもってどんどん挑戦し,自分の可能性を広げていけるようにしたいですね。 最後に掲示委員会の子どもたちが,今月の目標についての発表をしました。大切なことをとても分かりやすく伝えてくれました。2学期もがんばっていきましょう。 非行防止教室2学期の始まりですまた,午後からは夏休み作品展が行われました。絵画や工作,習字,自由研究等,力作ぞろいでした。充実した夏休みが送れたことと思います。今日からは切り替えてがんばっていきましょう。 「父のこと」
校長 富永雅明
個人的な話で恐縮ですが,私の父は,若い頃から塩業会社に勤務しておりました。現在は,イオン交換膜製塩法といって,陽イオン(Na+)だけを通す膜と陰イオン(Cl−)だけを通す膜を使い,イオンの移動によって食塩(NaCl)を作っていますが,以前は,入浜式塩田や流下式塩田という,雨が少ない香川ならではの製塩法で作っていました。父の仕事は,濃塩水を煮詰めて水を蒸発させ,塩を取り出すことでした。室温は50度以上にもなっていて,普通の人は,とても近寄れません。夜も交替で働いておりましたから,朝帰った時は,それから寝ます。私が小学校1年生の頃でしたか,子ども心に,昼間から寝ている父がいやで,そんなふうにはなりたくないと思ったものでした。4年生の頃,『親の職場を見学する』という宿題が出て,初めて行くことになりました。そこには,汗びっしょりで働いている父がいました。そうだったのか。今まで考えていた自分に恥じるとともに,父のことを誇らしく思えた瞬間でもありました。 そんな父が私に一度だけ話をしてくれたことがあります。昭和20年7月4日,父が18歳の時でしたが,高松大空襲があって,夜中の3時頃から2時間くらい焼夷弾の爆撃を受けました。坂出から見ていても,高松の空がぱっと明るく見えたそうです。焼夷弾と言うのは,火災を起こすための爆弾で,高松はすっかり焼け野が原になってしまいました。その後,父が高松へ片付けの手伝いに行ったところ,高松城のお堀の中に,たくさんの焼かれた死体が折り重なっていたそうです。それ以後,父からこの話を聞くことはありませんでした。そして,8月15日。ついに日本は,第2次世界大戦に終わりを告げました。 父は,7ヶ月の入院後,5月3日に87歳で亡くなりました。初めの頃は自分でごはんを食べていましたが,だんだん食べられなくなって私がスプーンで1杯ずつ口に運んであげますと,「ありがとな。ありがとな。」って言いながらうれしそうに食べます。それが私の唯一の親孝行だったのかもしれません。トイレも一人でできないので,看護師さんに手伝ってもらうのですが,また,「ありがとな。ありがとな。」って2回ずつ言います。今思えば,感謝の心を忘れない人だったのだと思います。 亡くなる1週間前に病院の先生に呼ばれて,「難しいですよ。」と言われました。 そして,1週間後の朝,病院へ行くと急に容体が悪くなっていました。「家族の人を急いで呼んでください。」と言われました。血圧が80,70,60とみるみる下がっていき,やがて家族みんなに見守られながら静かに息を引き取りました。 何の取り柄もなく,実に平凡な人でしたが,人のことを悪く言ったり,いやなことをしたりしない人で,争いごとを嫌う,平和を愛する人でした。 高松大空襲から70年。父の思い出を通して,普段はあまり考えることのない「戦争」や「死」について書かせていただきました。未来を生きる子どもたちに,平和な社会が永遠に続くことを祈ります。そして,「これからどう生きていくのか」について,少しでも考えさせることができればと思っています。 坂出市連合児童会がありました
4日(火)に坂出小学校で坂出市連合児童会が開かれ,府中小学校からも4名の児童が代表として参加しました。各学校での取り組みを発表したり,困っていることを話し合ったりして有意義な時間を過ごすことができました。いじめ0の学校づくりに向かうよいヒントを見つけられたようです。
瀬戸大橋パレード退所式が終わりました
いよいよバスに乗って帰ります。
流しそうめん到着しましたみんなお疲れ様。 |
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